家永直太郎
大日本帝国陸軍軍人
家永 直太郎(いえなが なおたろう、1873年(明治6年)5月6日 - 1939年(昭和14年)9月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。子に東京教育大学名誉教授の家永三郎がいる。
家永 直太郎 | |
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生誕 |
1873年5月6日 日本 佐賀県 |
死没 | 1938年9月24日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1895年 - 1919年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集佐賀県出身[1][2]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1]。1903年(明治36年)陸軍大学校第17期卒業[1]。
1913年(大正2年)8月に八代連隊区司令官、1915年(大正4年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第37連隊長を経て、1919年(大正8年)7月に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年11月に予備役に編入した[1][3][4]。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[8]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。