宍戸広匡
宍戸 広匡(ししど ひろまさ)は、江戸時代初期の長州藩毛利家家臣。宍戸家第15代当主。父は宍戸元続。母は口羽通良の娘。正室は穂井田元清の娘。子は宍戸就尚、熊谷元実。通称は弥三郎、出雲。初名は広続。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 |
寛永3年8月22日(1626年10月12日) または、正保元年8月22日(1644年9月22日) |
改名 | 宍戸広続→宍戸広匡 |
別名 | 通称:弥三郎 |
官位 | 出雲守 |
主君 | 毛利秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 宍戸氏 |
父母 | 父:宍戸元続、母:口羽通良娘 |
兄弟 | 広匡、就俊、元高 |
妻 | 正室:穂井田元清娘 |
子 | 就尚、熊谷元実 |
生涯
編集生年は不明であるが、毛利氏重臣である宍戸元続の嫡男として生まれる。
元和元年(1615年)、佐野道可事件の処理後に父・元続が隠居したため家督相続し、佐波郡右田領主長州藩一門家老となって、藩主・毛利秀就に仕えた。
寛永元年(1624年)に隠居して家督を長男・就尚に譲り、寛永2年(1625年)の藩内の知行替えで、右田から熊毛郡三丘に移る。
寛永3年(1626年)8月22日に死去したとされるが、閥閲録の異本によると正保元年(1644年)8月22日に死去したとする説もある。
なお、寛永3年(1626年)には次男・元実が藩主・秀就の命で熊谷家を相続している。