安部キミ子
安部 キミ子(あべ キミこ、1907年(明治40年)7月12日[1] - 1996年(平成8年)3月8日[2])は、昭和期の教育者、政治家。参議院議員。
経歴
編集山口県[2][3]大津郡仙崎村(仙崎町を経て現長門市仙崎[1])で生まれる。仙崎小学校、山口県立深川高等女学校(のち山口県立大津高等学校)、文化服装学院本科を経て[1]、1938年(昭和13年)共立女子専門学校(現共立女子大学)本科を卒業した[1][2][3]。同年、防府市立実践女学校教諭に就任[1][3]。その後、母校の深川高等女学校教諭に転じた[1][3]。
1946年(昭和21年)深川幼稚園、私立長門文化服装学院を設立して、園長、院長に就任[1][3]。公選で山口県教育委員に選ばれた[1][3]。また、日中友好協会理事、原水爆禁止日本協議会幹事、日本アジア連帯委員会常任理事、日朝協会副会長などを務めた[1][3]。
1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙で山口県地方区から無所属で出馬して当選し[2][4]、日本社会党に所属して参議院議員を1期務めた[3]。その後、第5回通常選挙に立候補したが次点で落選した[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 中村輝雄編『現代山口の百人 続:青少年への座右銘』育英出版社、1980年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。