安心院 公正(あじむ きみまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将神職安心院家の最後の当主。龍王城主。

 
安心院公正
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正11年1月20日1583年2月12日[1]
改名 公正、麟生(号)
主君 大友義鎮
氏族 宇佐氏安心院家宇佐大宮司家
公糺
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出自

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安心院氏は豊前国宇佐郡の有力国人で、宇佐氏の庶流かつ宇佐大宮司家系であった。安心院庄地頭の系譜を持つ。

確認できる安心院家出身の大宮司を以下に列記する[2]

生涯

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生年は不詳[3]大内氏滅亡後の弘治2年(1556年)、大友義鎮が龍王城を陥落させると、公正はその他の国人領主らと共に大友氏に従属した[3]。公正は義鎮より龍王城を任せられ、この前後に「麟」の字を賜って「麟生」と称したという[3]

永禄年間には大友氏に従って各地を転戦し、九州へ進出していた毛利氏とも刃を交えている[3]天正10年(1582年)、公正は大友氏に反旗を翻した。義鎮に討伐の命を受けた田原紹忍田原親盛らに攻撃され[3]、翌天正11年(1583年)1月20日に龍王城は落城し、公正は萱籠村中尾まで逃れるも、敵に追い詰められて自害した[1]

子に公糺がいたというが、幽閉されたのち逃走を図ったため佐田鎮綱の追討を受けて殺害された。

脚注

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出典

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  1. ^ a b 小野精一『大宇佐郡史論』宇佐郡史談会、1931年、p.294。
  2. ^ 乙咩 1983.
  3. ^ a b c d e 『戦国人名事典 コンパクト版』、42ページ

参考文献

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