狷介不羈で人嫌いのために、若い頃は嵩山に隠れた。貞元7年(791年)、41歳の秋に、湖州の郷貢進士に挙げられ長安に出る[1]。貞元14年(798年)、50歳の時に三度目で進士に及第し、溧陽県尉となった。生涯不遇で、元和9年(814年)に閿郷で没する。
詩は困窮・怨恨・憂愁を主題としたものが多く、表現は奇異。韓愈とならんで「韓孟」と称せられる。蘇軾は賈島とならべて「郊寒島痩」、つまり孟郊は殺風景で賈島は貧弱と評す。韓愈が推奨するところの詩人であり、「送孟東野序」が知られている。『孟東野集』10巻がある。
古別離
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欲別牽郎衣
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別れんと欲して郎が衣を牽く
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郎今到何処
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郎 今は何処にか到る
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不恨歸来遅
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帰来の遅きを恨みず
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莫向臨邛去
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臨邛に向かって去るなかれ
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帰信吟
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涙墨灑為書
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涙墨をそそいで書と為す
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将寄萬里親
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まさに萬里の親に寄せんとす
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書去魂亦去
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書去って魂亦去り
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兀然空一身
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兀然として一身空し
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渭上思帰
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獨訪千里信
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ひとり千里の信を訪う
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回臨千里河
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また千里の河に臨む
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家在呉楚郷
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家は在り呉楚の郷
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涙寄東南波
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涙は寄す東南の波
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京山行
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衆蝱聚病馬
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衆蝱病馬にあつまり
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流血不得行
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流血行くを得ず
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後道起夜色
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後道に夜色起こり
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前山聞虎声
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前山に虎声を聞く
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此時遊子心
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此の時 遊子の心
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百尺風中旌
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百尺風中の旌(はた)
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登科後
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昔日齷齪不足誇
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昔日の齷齪(あくせく)誇るに足らず
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今朝放蕩思無涯
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今朝の放蕩思い涯て無し
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春風得意馬蹄疾
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春風に意を得て馬蹄は疾し
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一日看尽長安花
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一日に看尽くす長安の花
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題名の通り、作者が科挙に合格した際の喜びを読んだ七言絶句である。