孝敬憲皇后(こうけいけんこうごう、満州語:ᡥᡳᠶᠣᠣᡧᡠᠩᡤᠠ
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 転写:hiyoošungga ginggun temgetulehe hūwangheo)は、雍正帝の皇后。満洲正黄旗の出身。姓はウラナラ氏。父は内大臣のフィヤング(費揚古)[1]、母はドロイ・ゲゲ(doro i gege、多羅格格)[2]のギョロ氏(太祖ヌルハチの五世の孫娘)。

孝敬憲皇后
清朝皇后
『孝敬憲皇后朝服像』
在位 雍正元年2月4日 - 雍正9年9月29日
1723年3月10日 - 1731年10月29日

別称 孝敬恭和懿順昭恵荘粛安康佐天翊聖憲皇后
出生 康熙20年5月13日
1681年6月28日
死去 雍正9年9月29日
1731年10月29日
順天府、暢春園
埋葬 泰陵
配偶者 雍正帝
氏族 ウラナラ氏
父親 フィヤング(費揚古)
母親 ギョロ(覚羅)氏
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経歴

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康熙30年(1691年)、胤禛(後の雍正帝)に嫁ぎ、嫡福晋(正室)となった。男子を1人産んだが早世した。

雍正帝が即位すると、皇后に立てられた。雍正9年9月29日(1731年10月29日)、薨去し、「孝敬」とされた。その後、夫の諡を重ねて「孝敬恭和懿順昭恵荘粛安康佐天翊聖憲皇后」と加諡された。

男子

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  • 弘暉(端親王、1697年 - 1704年)

登場作品

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伝記資料

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  • 趙爾巽, 他100余名『清史稿』巻214, 清史館, 1928
  • 『清皇室四譜』

脚注

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  1. ^ 鄭親王ジルガランの弟のフィヤング中国語版順治帝孝献端敬皇后の弟でドンゴ(董鄂)氏中国語版フィヤング中国語版とは別人。
  2. ^ 宗室出身者の貴女の封号。