子守神社 (可児市)

岐阜県可児市にある神社

子守神社(こまもりじんじゃ)は、岐阜県可児市にある神社である。全国各地にある子守神社の一つである。地名より中恵土子守神社(なかえどこまもりじんじゃ)とも表記される。

子守神社
子守神社拝殿
所在地 岐阜県可児市中恵土2259-1
位置 北緯35度25分53.3秒 東経137度3分46.4秒 / 北緯35.431472度 東経137.062889度 / 35.431472; 137.062889座標: 北緯35度25分53.3秒 東経137度3分46.4秒 / 北緯35.431472度 東経137.062889度 / 35.431472; 137.062889
主祭神 水分神
社格 郷社・金幣社
創建 不明
例祭 3月28日
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創建時期は不明。1156年保元元年)に社殿創建の棟札があるといい(社殿再建の棟札の説もある)、平安時代以前の創建と推測される。

子守神社(可児市)子授石

またぐと子宝を授かると伝えられる「子授石」があり、安産・子供の守護に御利益があるといわれる。毎年3月28日の例祭(子守神社大祭)は、子授け・子育・安産を祈願する人で賑わう。

祭神

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交通機関

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その他

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祭神は水分神であるが、和泉源内兵衛重義が子守明神となったという言い伝えがある。

  • 和泉源内兵衛重義は元北面武士であり、武士をやめた後は美濃国武儀郡で夫婦で暮らしていたという。
  • ある日美濃国可児郡前田(現・可児市坂戸)で「子供の神となるべし」のお告げを受け、以後、夫婦で前田に移り住む。1157年保元2年)、夫婦の間に第一子が誕生し、以後32年間で32人の子供が授かったという。
  • 1234年文暦元年)3月28日、重義はこの地で入滅し子守明神となったという。その後、妻は美濃国不破郡松尾(現・不破郡関ケ原町松尾)で亡くなり、子安明神となったという。