妙伴
伊達政宗の側室
妙伴(読み方不明、慶長9年(1604年)- 寛文4年1月18日(1664年2月14日))は、伊達政宗の側室。村上政重の娘で名は「妙」(たえ)または「妙子」(たえこ)。正式には村上氏と記載。村上姫とも称す。院号は本寿院。
父の村上政重は大坂方の武将で摂州浪士。弟は村上利重という武士で大坂の陣での大坂方敗戦の後、寛永元年(1624年)から400石で伊達家に仕えた。妙伴は寛永の初め頃に政宗の側室となったとされる。[1]
寛永3年(1626年)、四女の千菊姫を産む。政宗は60歳で側室の妙伴は23歳位だったという。
娘の千菊姫はのち、丹後宮津藩主京極高国の妻となり、4男2女をもうけた。
寛文4年(1664年)1月18日没す。法名は妙伴日念本寿院。墓所は仙台市の孝勝寺。
参考文献
編集- 宮城県史
- 伊達世臣家譜
- 樫山巌「伊達家悲話」
- 紫桃正隆「政宗をめぐる十人の女」
脚注
編集- ^ 村上利重が先づ出仕して、その儀礼として姉を側室に献上したのか、妙伴が側室に上がったためその縁で弟の村上利重が召し出されたかは不明であるが、後者の説が有力であるとされる。