奈良竜樹
奈良 竜樹(なら たつき、1993年9月19日 - )は、北海道北見市出身のプロサッカー選手[1][4]。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | ナラちゃん、タツキ | |||||
カタカナ | ナラ タツキ | |||||
ラテン文字 | NARA Tatsuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1993年9月19日(31歳) | |||||
出身地 | 北海道北見市 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アビスパ福岡 | |||||
ポジション | DF(CB)[1] | |||||
背番号 | 3 | |||||
利き足 | 右足[2][3] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2011-2015 | コンサドーレ札幌 | 103 | (1) | |||
2015 | →FC東京(loan) | 0 | (0) | |||
2015 | →Jリーグ・アンダー22選抜 | 7 | (1) | |||
2016-2019 | 川崎フロンターレ | 71 | (2) | |||
2020-2021 | 鹿島アントラーズ | 6 | (0) | |||
2021 | →アビスパ福岡(loan) | 24 | (1) | |||
2022- | アビスパ福岡 | 22 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2009 | 日本 U-16 | |||||
2011-2012 | 日本 U-18/19 | |||||
2014-2016 | 日本 U-21/22/23 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年12月18日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集プロ入り前
編集7歳の時にサッカーを始め[5]、空中戦の強さを見込まれて[6]北見市立小泉中学校2年生時にセンターバックへ転向[3]。
2009年にコンサドーレ札幌U-18に入団し、2011年(高校3年生時)にはU-18プレミアリーグイーストでチームの初優勝に貢献。同年は併行して2種登録選手として[7] トップチームに帯同し、10月8日天皇杯2回戦水戸戦で公式戦初出場を果たす。1学年上のDF櫛引一紀の代表招集による不在の穴を埋める形で同月26日J2第7節徳島戦に先発出場すると、以降櫛引の復帰後もポジションを譲らず最終節まで全試合に先発出場。J1昇格に貢献した。
コンサドーレ札幌
編集2012年、U-18同期の荒野拓馬、小山内貴哉、榊翔太、前貴之と共にトップチームへ昇格[1]。開幕戦の磐田戦でJ1での先発初出場を果たした[3]。対人の強さ[8]と強靭な身体能力を発揮し[3]レギュラーとして奮闘したことで、同年4月には7月に開催されるロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表候補合宿に飛び級[注 1] で招集された[9][6]。また同年11月にはU-19日本代表に招集されAFC U-19選手権に出場。守備の強さと激しさを武器にセンターバックのポジションを争った[10]。帰国後の同月17日J1第32節鳥栖戦で古田寛幸の右からのコーナーキックを頭で合わせプロ初ゴールを挙げたが、チームの不振は続き、J2降格を喫した。
2013年末、2016年開催のリオデジャネイロオリンピックを目指す日本代表が組織され、奈良もメンバー入り。翌2014年1月にはU-21日本代表としてAFC U-22アジアカップに出場した[11]。同年のリーグ戦では自己最多の39試合に出場し、主に左ストッパーに入りタックル数及びボール奪取数でチーム最多を記録[12]、終盤には3バックの中央で守備の統率を担った[13]。守備の要として成長するも[14]、オリンピック代表メンバーに残るための危機感は強く[15] J1でのプレーを希望[16][8]。クラブからの残留要請を[16][8] 保留し移籍を模索していた[14]。
FC東京
編集2015年、FC東京へ期限付き移籍[17][18]。激しいポジション争いを求めての移籍ではあったが[4]、森重真人や丸山祐市らから定位置を奪えず[19][20] 試合出場から遠ざかった。森重・丸山が日本代表招集により不在の間のカップ戦での奮闘も実らず[19]、移籍期間満了により同年限りで退団[21]。札幌では経験できなかった監督の要求を理解し応えていくことの重要性を実感し[22]、成長を期した[21]。
川崎フロンターレ
編集2016年1月、川崎フロンターレへ完全移籍[23][24]。同月開催のAFC U-23選手権では対人プレーの強さと果敢なラインコントロールで[25] 相手を牽制[26]。手倉森誠監督や霜田正浩技術委員長にも認められる働きで[26][6] オリンピック出場権獲得に貢献した。帰国後、川崎のレギュラーに定着し、激しい守備でチームの原動力の一人となっていたが[27]、同年5月のJ1-1st第12節神戸戦で左脛骨を骨折[28]。必死のリハビリも[27] オリンピック本大会には間に合わず出場を断念した[29]。9月に実戦復帰するも[30] 練習中に受傷箇所を再骨折[31]。
2017年4月25日、ACL第5節の水原三星ブルーウィングスで得点を決めて勝利に貢献した。
2018年5月2日、J1第12節・浦和戦で、3人交代枠使い切った直後の後半25分に決定機阻止により退場処分となったチョン・ソンリョンの代わりに急造ゴールキーパーとしてプレー。GK安藤駿介のシャツを着て急遽ゴールーキーパーを務めた。同年オフにはガンバ大阪から正式オファーを受けたが[32]、12月23日にオファーを断り残留を決断したと報道された[33]。
鹿島アントラーズ
編集2020年1月、鹿島アントラーズへ完全移籍[34][35]。 開幕前からセンターバックのレギュラー候補に入っており、1月末に行われたACLプレーオフステージのメルボルン・ビクトリーFC戦で先発出場を果たすとなどと幸先良いスタートを切ったように見えたが、シーズン開幕後はポジションを掴めない日々が続き、終盤に少し出場機会を得たが、結果6試合の出場に留まる。
アビスパ福岡
編集エピソード
編集所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 札幌 | 37 | J2 | 7 | 0 | - | 1 | 0 | 8 | 0 | |
2012 | 29 | J1 | 22 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 26 | 1 | |
2013 | 23 | J2 | 35 | 0 | - | 2 | 0 | 37 | 0 | ||
2014 | 39 | 0 | - | 1 | 0 | 40 | 0 | ||||
2015 | FC東京 | 33 | J1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 |
2016 | 川崎 | 3 | 12 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 | |
2017 | 27 | 1 | 4 | 1 | 4 | 0 | 35 | 2 | |||
2018 | 23 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 27 | 1 | |||
2019 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | |||
2020 | 鹿島 | 6 | 0 | 1 | 0 | - | 7 | 0 | |||
2021 | 福岡 | 39 | 24 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 26 | 1 | |
2022 | 3 | 22 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 24 | 0 | ||
2023 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 145 | 4 | 16 | 1 | 11 | 0 | 172 | 5 | |
日本 | J2 | 81 | 0 | - | 4 | 0 | 85 | 0 | |||
総通算 | 226 | 4 | 16 | 1 | 15 | 0 | 257 | 5 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2015 | J-22 | - | J3 | 7 | 1 | 7 | 1 | ||||
総通算 | 7 | 1 | 7 | 1 |
- 2018年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2017 | 川崎 | 3 | 9 | 2 |
2018 | 4 | 0 | ||
2019 | 4 | 0 | ||
通算 | AFC | 17 | 2 |
その他の国際公式戦
- 2020年
- AFCチャンピオンズリーグ2020・プレーオフ 1試合0得点
出場歴
- Jリーグ初出場 - 2011年10月26日 J2第7節 vs徳島ヴォルティス(鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2012年11月17日 J1第32節 vsサガン鳥栖(札幌ドーム)
代表歴
編集- U-16日本代表[2]
- 2009年 - 豊田国際ユースサッカー大会 (2位)[41]
- U-18日本代表[2] (2011年)
- U-19日本代表
- 2012年 - AFC U-19選手権 (ベスト8)
- U-21日本代表
- 2014年 - AFC U-22アジアカップ (ベスト8)
- U-22日本代表
- 2015年 - AFC U-23選手権2016 (予選)
- U-23日本代表
- 2016年 - AFC U-23選手権 (優勝)
- 2016年 - トゥーロン国際大会 (離脱[42])
タイトル
編集クラブ
編集- コンサドーレ札幌U-18
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ EAST:1回 (2011年)
- 川崎フロンターレ
- アビスパ福岡
代表
編集- U-23日本代表
個人
編集- Jリーグ優秀選手賞(2018年)
脚注
編集- 注釈
- ^ 原則として、ロンドンオリンピックには1989年以降、リオデジャネイロオリンピックには1993年以降に生まれた選手が出場資格を有する。
- 出典
- ^ a b c d e f コンサドーレ札幌U-18 荒野拓馬・小山内貴哉・榊翔太・奈良竜樹・前貴之選手 2012シーズン トップチーム昇格のお知らせ コンサドーレ札幌 (2011年11月13日)
- ^ a b c “2012年 コンサドーレ札幌選手名鑑”. 2012年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。 スポーツニッポン
- ^ a b c d e 奈良がJ開幕日以降生まれ初ピッチ/J1 日刊スポーツ (2012年3月11日)
- ^ a b FC東京・奈良竜樹 移籍決断「間違いではない」苦しんだ経験糧に成長を (1/3) 産経ニュース (2015年10月3日)
- ^ a b 財界さっぽろ スポーツ情報 (2012年5月)
- ^ a b c F-スポット:ピックアッププレイヤー 2016 vol.06 川崎フロンターレ
- ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2011年4月15日)
- ^ a b c “【札幌】U21代表のDF奈良、F東京に期限付き移籍へ”. 2014年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。 スポーツ報知 (2014年12月28日)
- ^ ““飛び級”でU-23候補合宿に参加 ルーキー奈良、着実に成長”. 2012年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。 北海道新聞 (2012年4月19日)
- ^ 熾烈なU-19代表CB争い制するのは?奈良「守備では少し違いを出せた」 ゲキサカ (2012年10月26日)
- ^ a b コンサドーレ札幌 奈良竜樹選手、荒野拓馬選手 U-21日本代表 AFC U-22選手権Oman2013 メンバー選出のお知らせ コンサドーレ札幌 (2013年12月11日)
- ^ 『エル・ゴラッソ特別編集 J2リーグ総集編2014』三栄書房、2015年、68頁。
- ^ a b “【道スポ】奈良が結婚 去就は未定「評価してくれるチームで」”. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。 北海道新聞 (2014年11月29日)
- ^ a b “【道スポ】コンサ奈良、FC東京へ期限付き移籍 本人の強い希望”. 2014年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。 北海道新聞 (2014年12月30日)
- ^ a b “【札幌】奈良、結婚発表も残留明言せず!”. 2014年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月30日閲覧。 スポーツ報知 (2014年11月29日)
- ^ a b U21代表の札幌奈良 東京移籍 日刊スポーツ (2014年12月28日)
- ^ 奈良竜樹選手 FC東京へ期限付き移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2014年12月29日)
- ^ 奈良竜樹選手 期限付き移籍加入のお知らせ FC東京 (2014年12月29日)
- ^ a b 青赤軍団の若手が示した可能性と立ちはだかる大きな壁 (#22) Jリーグ (2015年9月9日)
- ^ FC東京・奈良竜樹 移籍決断「間違いではない」苦しんだ経験糧に成長を (3/3) 産経ニュース (2015年10月3日)
- ^ a b 奈良竜樹選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ FC東京 (2016年1月1日)
- ^ FC東京・奈良竜樹 移籍決断「間違いではない」苦しんだ経験糧に成長を (2/3) 産経ニュース (2015年10月3日)
- ^ 奈良竜樹選手 川崎フロンターレへ完全移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2016年1月1日)
- ^ 奈良竜樹選手加入のお知らせ 川崎フロンターレ (2016年1月1日閲覧)
- ^ CBにオーバーエイジ枠は使わせない! 岩波、植田、奈良の三つ巴の行方は。(1/4) Number Web (2016年4月17日)
- ^ a b 劇的リオ五輪出場の裏にあった苦渋の決断 手倉森監督が岩波をベンチに置いた理由 (1/2) フットボールZONE (2016年1月27日)
- ^ a b 川崎F・奈良“リオの奇跡”へ始動 問題は「骨がくっつくかつかないか」 スポーツニッポン (2016年6月1日)
- ^ 奈良竜樹選手のケガについて 川崎フロンターレ (2016年5月14日)
- ^ 川崎F 奈良がリオ五輪断念「A代表目指す。パワーアップしたい」 スポーツニッポン (2016年6月16日)
- ^ 川崎F奈良 4カ月ぶり実戦復帰「パフォーマンスはまだまだ」 スポーツニッポン (2016年9月23日)
- ^ 川崎F奈良が今季絶望 5月と同じ左脛また骨折 日刊スポーツ (2016年10月14日)
- ^ “G大阪、川崎F奈良に正式オファー 今季リーグ戦23試合出場”. スポーツニッポン (2018年12月12日). 2019年1月2日閲覧。
- ^ “川崎F奈良竜樹が残留 G大阪好条件も獲得ならず”. 日刊スポーツ新聞社 (2018年12月23日). 2019年1月2日閲覧。
- ^ “奈良竜樹選手完全移籍のお知らせ”. 川崎フロンターレ (2020年1月4日). 2020年1月4日閲覧。
- ^ “奈良選手の加入について”. 鹿島アントラーズ (2020年1月4日). 2020年1月4日閲覧。
- ^ 『奈良 竜樹 選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2021年12月17日 。2021年12月18日閲覧。
- ^ a b c 18歳奈良 デビュー戦で前田封じた!札幌4年ぶり勝ち点 スポーツニッポン (2012年3月11日)
- ^ 早稲田大学人間科学部eスクールに奈良竜樹選手が合格 コンサドーレ札幌 (2012年2月3日)
- ^ 奈良竜樹選手 入籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2014年11月28日)
- ^ 『奈良竜樹選手第一子誕生のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ 。2021年12月18日閲覧。
- ^ 第10回豊田国際ユースサッカー大会 日本サッカー協会
- ^ 第44回トゥーロン国際大会2016(5/21-29@フランス)U-23日本代表 メンバー・スケジュール 日本サッカー協会 (2016年05月13日)
関連項目
編集外部リンク
編集- 奈良竜樹 - Soccerway.com
- 奈良竜樹 - FootballDatabase.eu
- 奈良竜樹 - WorldFootball.net
- 奈良竜樹 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 奈良竜樹 - J.League Data Siteによる選手データ
- 奈良竜樹 - playmakerstats.com
- 奈良竜樹 (@tnmn1020) - Instagram
- プロフィール - 日本サッカー協会
- プロフィール (2014年) - ウェイバックマシン(2014年12月15日アーカイブ分) - コンサドーレ札幌
- プロフィール (2015年) - ウェイバックマシン(2015年10月3日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール - 川崎フロンターレ