太田名部防潮堤
岩手県普代村にある防潮堤
解説
編集2011年の東日本大震災の際、この太田名部防潮堤は普代水門とともに住宅地や集落中心部への津波到達を防いだため、普代村における震災の人的被害は船の様子を見るため防潮堤の外に出た行方不明者1人のみで、それ以外の死者はゼロ、被災民家も無かった[1]。今回の震災において、宮古市田老地区(旧田老町)の高さ10メートルの大型防潮堤をはじめとする各地の水防施設が越水・破損により機能不全に陥る中、沿岸部で機能した数少ない堤防であった[2]。
脚注
編集- ^ “普代守った巨大水門 被害を最小限に”. 岩手日報. (2011年4月24日). オリジナルの2011年4月28日時点におけるアーカイブ。 2017年10月12日閲覧。
- ^ “津波で5割超の防潮堤損壊 岩手県が効果検証へ”. 共同通信. (2011年4月12日). オリジナルの2011年9月24日時点におけるアーカイブ。 2011年4月24日閲覧。
座標: 北緯40度0分32.8秒 東経141度54分18.1秒 / 北緯40.009111度 東経141.905028度