大須 (佐渡市)
地理
編集真野湾に面し、200メートル付近まで海岸段丘が形成されている[1]。集落は段丘の最も低い面に形成されている[1]。
北西に向かって三貫目沢が流れ、真野湾に注ぐ。三貫目沢の河口周辺は真野湾に向かって突き出しており、大須鼻と呼ばれる[2]。
歴史
編集古代
編集縄文時代前期の終わりから中期のものと考えられる土器が出土した大工町遺跡がある[3]。土器のほか、石鏃や石斧、土偶一点が出土している[3]。
三貫目沢洞穴と呼ばれる洞穴の奥では縄文時代晩期のものと考えられる完全な土器が一点見つかっている[4]。
古墳が複数見つかっており、これらは真野古墳群の一部となっている[5]。
近世
編集時期ははっきりしないが大須銀山が開発され、江戸時代を中心に銀山稼ぎが行われたとされる[5]。
行政区画の変遷
編集- 1876年(明治9年) - 大須村は小立村と合併して大小村となる[6]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、大小村は大倉谷村・田切須村・西三川村と合併して小布勢村となる[7]。旧村域に大字大小が設けられる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 羽茂郡は雑太郡・加茂郡と合併して佐渡郡となる[8]。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 小布勢村は亀ノ脊村と合併して西三川村となる[9]。
- 1948年(昭和23年)8月1日 - 大字大小字大須の一部を真野村に編入[10]。
- 1951年(昭和26年)1月1日 - 真野村は真野町となる[11]。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 西三川村は分割し、大字大小・大倉谷・田切須・西三川・椿尾は真野町と合併して真野町となる[12]。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 真野町は両津市・相川町・佐和田町・金井町・新穂村・畑野町・小木町・羽茂町・赤泊村と合併して、佐渡市となる。
産業
編集近世
編集段丘上に位置するため、江戸時代には水田は少なく、畑と漁業を中心としていたとみられる[5]。
水田には、鉱山のために築かれた三貫目沢堤の水が用いられた[13]。鉱山由来の濁った水が流れていたが、奉行所への願い出により苗代の時期には鉱山稼ぎが停止された[13]。
脚注
編集- ^ a b 真野町史編纂委員会 1976, pp. 5–6.
- ^ 真野町史編纂委員会 1976, p. 35.
- ^ a b 真野町史編纂委員会 1976, pp. 52–53.
- ^ 真野町史編纂委員会 1976, p. 56.
- ^ a b c d 真野町史編纂委員会 1976, p. 18.
- ^ 新潟県総務部地方課 1962a, p. 481.
- ^ 新潟県総務部地方課 1962a, pp. 277–280, 481.
- ^ 「法律第二十一號 新潟縣下郡界變更及郡廢置」『官報』第3820号、内閣官報局、394頁、1896年3月27日。NDLJP:2947098/2。
- ^ 「町村廢置分合」『官報』第5520号、印刷局、532–534頁、1901年11月26日。NDLJP:2948821/11。
- ^ 「総理廳告示第十四号 新潟縣佐渡郡西三川村の一部を同郡羽茂村及び眞野村の区域に編入」『官報』第6611号、印刷局、189頁、1949年1月29日。NDLJP:2963153/1。
- ^ 「総理府告示第九号 村を町とする処分(新潟県真野町)」『官報』第7218号、印刷庁、41頁、1951年2月3日。NDLJP:2963766/1。
- ^ 新潟県総務部地方課 1962a, pp. 1789, 1799.
- ^ a b 真野町史編纂委員会 1976, p. 357.