大音 厚曹(おとう あつとも、享保7年(1722年) - 文化2年3月12日(1805年4月11日)[1])は、江戸時代中期の加賀藩士。加賀八家筆頭前田土佐守家4代当主・前田直堅の三男[1]。子は加賀八家奥村宗家第10代当主奥村尚寛室がいる。[要出典]通称は典膳、七左衛門、帯刀[1]。
宝暦5年(1755年)4月、大音厚固の跡を継いで4300石を領する。宝暦6年(1756年)寺社奉行、明和4年(1767年)家老となり、安永年間に若年寄を兼ねる。寛政3年(1791年)4月18日に致仕し、南郊と号した。文化2年(1805年)3月12日に84歳で死去[1]。