大矢市次郎
大矢市次郎(おおや いちじろう、1894年(明治27年)2月11日 - 1972年(昭和47年)5月28日)は、大正 - 昭和期の俳優。新派生え抜きの役者の一人で名脇役として知られた。
生涯
編集東京浅草須賀町(現・台東区)の生まれ[1]。幼少時からの芸事好きで、1907年(明治40年)に伊井蓉峰主演の舞台「乞食の子か大名の子か」で子役エキストラの一人で初舞台を踏む[1]。伊井の弟子の藤井六輔に師事し、藤川宗六の芸名を貰うが後に本名の大矢市次郎で活動。
18歳のときに、60歳の役を演じて以来老け役を得意とし、多くの当り役を持った。
新派系の劇団を転々としたのち、1939年(昭和14年)に花柳章太郎・伊志井寛・柳永二郎・川口松太郎・大江良太郎らと、劇団『新生新派』を旗揚げ、戦後の劇団新派結成へも関わり、新派に欠かせぬ中心メンバーとなる。
1962年(昭和37年)に芸術院賞、紫綬褒章を、1967年(昭和42年)には勲四等旭日小綬章を受章している。
1967年にはその演技力を乞われ、文学座公演「大寺學校」へ客演(主演)として招かれ、初めて新派劇以外の舞台へも立ち、話題と人気を集めた。
1972年(昭和47年)5月28日、肺癌のため没。78歳。前年7月の歌舞伎座での新派公演「風流深川唄」の利三郎役が最期となった。
今日、初代水谷八重子・花柳章太郎・伊志井寛と並び、新派四天王と称されている。
弟子に大鹿次代などがいる。
出演作品
編集映画
編集テレビドラマ
編集著書
編集- 『日々願うこと』(六芸書房、1965年)