大畠章宏
大畠 章宏(おおはた あきひろ、1947年〈昭和22年〉10月5日 ‐ )は、日本の政治家。国民民主党茨城県連顧問[1]、同党顧問[2]。学位は工学修士(武蔵工業大学・1974年)。
大畠 章宏 おおはた あきひろ | |
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生年月日 | 1947年10月5日(77歳) |
出生地 |
日本 茨城県東茨城郡 (現・城里町) |
出身校 |
武蔵工業大学工学部卒業 武蔵工業大学大学院 工学研究科修士課程修了 |
前職 |
日立製作所従業員 衆議院議員 |
所属政党 |
(日本社会党→) (社会民主党→) (旧民主党→) (民主党(鳩山G)→) (民進党(大畠G)→) (旧国民民主党→) 国民民主党 |
称号 |
旭日大綬章 工学修士(武蔵工業大学・1974年) |
公式サイト | 前衆議院議員 大畠章宏 公式サイト(2017年10月14日時点のアーカイブ) |
内閣 | 菅直人第2次改造内閣 |
在任期間 | 2011年1月14日 - 2011年9月2日 |
第13代 経済産業大臣 | |
内閣 | 菅直人第1次改造内閣 |
在任期間 | 2010年9月17日 - 2011年1月14日 |
選挙区 |
(旧茨城2区→) (比例北関東ブロック→) 茨城5区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1990年2月19日 - 2017年9月28日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1986年 - 1990年 |
その他の職歴 | |
第14代 民主党幹事長 (代表:海江田万里) (2013年7月 - 2014年9月) |
衆議院議員(9期)、茨城県議会議員(1期)、経済産業大臣(第13代)、国土交通大臣(第15代)、民主党幹事長(第14代)、民主党代表代行、民進党副代表を歴任した。
来歴
編集政治家になるまで
編集茨城県東茨城郡常北町(のちの城里町)出身。茨城高等学校、武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部機械工学科卒業。
1974年、武蔵工業大学大学院工学研究科修士課程修了。その後、日立製作所に入社。原子力発電所プラントの設計及び建設業務に従事した。
政治家へ
編集1986年に茨城県議会議員当選。代議士・城地豊司の死去に伴い、日立労組後継候補として1990年の第39回衆議院議員総選挙で当時の日本社会党から初当選。
1995年には村山内閣で通商産業政務次官を務めた。1996年に旧民主党に移籍し、1998年の民主党結党にも参加した。
1999年、7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に反対票を投じた。民主党の高度情報化社会プロジェクトチーム座長を務める[3]。
2000年12月、在日本朝鮮人総連合会の招請による民主党の訪朝団に選ばれ、北朝鮮を訪問[4]。
2000年12月6日、民主党のネクスト情報通信大臣に就任。
2003年7月6日、民主党の次の内閣の閣議で、「新しい国立追悼施設のあり方について」の提起を行う[5]。
2005年8月4日、「『小泉政権の郵政民営化法案』廃案を目指す国民集会」に参加し、集会の締めとなる音頭を取った[6]。同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で民主党は議席を「177」から「113」に減らし、9月12日、党代表の岡田克也は引責辞任を表明[7]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[8]。
2009年9月、鳩山由紀夫の内閣総理大臣就任に伴い鳩山グループ会長に就任した[9]。
初入閣後
編集2010年9月、菅直人第1次改造内閣において経済産業大臣として初入閣。入閣に伴い、民主党茨城県総支部連合会会長を退任[10]。
2010年9月29日、現役閣僚の経済産業大臣として出席中国建国61周年を祝うレセプションに出席が判明した[11]。
2010年11月16日、中国のレアアース禁輸処置に世界が揺れる中「中国とレアアース(希土類)の代替材料やリサイクル技術を共同研究したい」との意向を示した[12]。
2011年1月に行われた菅直人第2次改造内閣の組閣では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加に積極的な海江田万里の経産相就任に伴い国土交通大臣へ補職変更となった[13]。それに加えて、国務大臣としての担当事項として「海洋に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[14]も新たに担当することになった。
同年6月2日の菅内閣不信任決議に一旦は賛成を表明した鳩山と対立し、鳩山グループ会長を辞任する意向を示した[15]。6月30日、鳩山の会長復帰に伴い顧問に退く[16]。菅総理の退陣に伴う8月の民主党代表選では、農林水産大臣の鹿野道彦を「尊敬する政治家」と評価し[17]推薦人となる[18]が、鹿野は1回目の投票で4位に終わる[19]。 大畠は代表選後に鳩山グループを脱退。素交会(鹿野グループ)の旗揚げに参加し、会長代行に就任する。2011年9月、野田内閣発足に伴い国土交通大臣を退任した。10月21日、衆議院憲法審査会会長に就任。
2012年12月、民主党代表代行に就任。また、素交会(大畠グループ)会長に就任[20]。
2013年7月、代表・海江田万里の下で民主党幹事長に就任[21]。
2014年4月、日本記者クラブで記者会見し、今夏に民主党代表選挙を実施することもあり得るとの認識を示した[22]。会見後、「進退は代表が判断すべき事項で、私が特定の時期を指定したり、否定したりすべきではない。一般論として応答した」と釈明するコメントを出した。
2014年9月、民主党幹事長を退任。
2015年11月、フランスレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章[23][24]。
2015年12月、民主党副代表に就任[25]。
2016年2月、今期限りでの政界引退を表明した[26][27][28][29]。3月、自身の公設秘書で日立労組役員の浅野哲を後継指名した[30][31]。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙に出馬せず政界を引退。後継候補の浅野は茨城5区から希望の党公認で出馬し、小選挙区で敗れたものの比例区で復活当選を果たした。
政策・主張
編集人物
編集選挙歴
編集当落 | 選挙 | 施行年月 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 比例代表 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 茨城県議会議員選挙 | 1986年 | 日本社会党 | ||||
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年2月 | 旧茨城2区 | 日本社会党 | 122,237 | ||
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年7月 | 旧茨城2区 | 日本社会党 | 81,537 | ||
当(比例) | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月 | 茨城5区 | 民主党 | 53,497 | 比例北関東ブロック | |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年6月 | 茨城5区 | 民主党 | 65,995 | ||
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 | 茨城5区 | 民主党 | 74,407 | ||
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年9月 | 茨城5区 | 民主党 | 74,753 | ||
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年8月 | 茨城5区 | 民主党 | 91,855 | ||
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月 | 茨城5区 | 民主党 | 61,142 | ||
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月 | 茨城5区 | 民主党 | 60,688 | ||
当選回数10回 (衆議院議員9) |
所属団体・議員連盟
編集- 人権政策推進議員連盟(副会長)
- 海事振興連盟(副会長)
- 日本・ロシア協会(副会長)
- 日韓議員連盟(常任幹事)
- 恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟
- 日朝友好議員連盟
- 日本アイスランド友好議員連盟
- 衆議院日仏友好議員連盟(幹事長)[23]
- 民進党建設職人の安全・地位向上推進議員連盟(最高顧問)
脚注
編集- ^ a b “役員体制|国民民主党 茨城県総支部連合会|茨城県”. 国民民主党 茨城県総支部連合会. 2022年11月26日閲覧。
- ^ 日本経済新聞2022年11月10日朝刊
- ^ 高度情報化社会プロジェクトが第1回勉強会ひらく 民主党ニュース 1999年1月29日
- ^ 北朝鮮に訪問団派遣~伊藤英成団長ら議員6名で 民主党ニュース 2000年11月30日
- ^ 【次の内閣】国立追悼施設設立について方針決める 民主党ニュース 2003年7月6日
- ^ 「『小泉政権の郵政民営化法案』廃案を目指す国民集会」を開催 民主党ニュース 2005年8月4日
- ^ “岡田代表 辞任を表明 12日未明の会見で”. 民主党 (2005年9月12日). 2021年12月1日閲覧。
- ^ “菅、前原両氏の一騎打ちに 民主代表選”. 朝日新聞. (2005年9月17日) 2021年12月1日閲覧。
- ^ YOMIURIONLINE 読売新聞 2011年6月30日
- ^ 「遠藤章江氏の公認→推薦へ――茨城県議選――民主県連、会長に郡司氏」 産経新聞 2010年10月25日
- ^ 中国建国記念レセプション 日本の議員50人出席もあいさつなし 産経新聞 2010年9月30日
- ^ レアアース代替素材「中国と共同研究」 経産相 日本経済新聞 2010年11月16日
- ^ asahi.com 2011年1月14日
- ^ 「人事異動」『官報』号外特1号、国立印刷局、2011年1月14日、1面。
- ^ 東奥日報 2011年6月18日
- ^ 産経ニュース2011年7月1日
- ^ asahi.com 2011年8月26日
- ^ YOMIURIONLINE 2011年8月27日
- ^ 日テレNEWS24 2011年8月29日
- ^ 民主・鹿野グループ、大畠元国交相が新会長に 読売新聞 2012年12月21日
- ^ 民主幹事長に大畠氏、菅氏は党員資格停止3カ月 日本経済新聞 2013年7月26日
- ^ 民主幹事長「今夏に代表選も」/日本記者クラブで記者会見 四国新聞 2014年4月30日
- ^ a b “大畠章宏衆議院議員がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月18日閲覧。
- ^ “本学卒業生の大畠章宏衆議院議員がフランス政府より勲章を受章”. 東京都市大学 (2015年12月10日). 2021年6月18日閲覧。
- ^ 民主党人事、大畠氏が副代表 辻元氏は役員室長に 産経新聞 2015年12月14日
- ^ “民主・大畠元国交相引退へ”. ロイター. 共同通信. (2016年2月6日). オリジナルの2016年2月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主・大畠氏、今期限りで引退へ 国交相・経産相を歴任”. 朝日新聞. (2016年2月6日). オリジナルの2016年2月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党副代表の大畠元国交相引退へ”. 産経新聞. (2016年2月8日)
- ^ “日立労組、存在感に陰りなく 大畠氏引退表明「したたかな戦略」 茨城”. 産経新聞. (2016年2月11日)
- ^ “大畠元国土交通省が引退表明”. (2016年3月13日). オリジナルの2016年3月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “大畠・民主衆院議員:後継に浅野氏 日立製作所労組 /茨城”. 毎日新聞. (2016年3月13日)
- ^ “茨城)民進県連が大会 新会長に大畠氏”. 朝日新聞. (2017年4月17日)
- ^ “民進党茨城県連大会 知事選・衆院選対応に批判 「独自候補は?」「現状では勝てない」”. 産経新聞. (2017年4月17日)
- ^ “平成30年春の叙勲 旭日大綬章”. 内閣府. 2021年6月18日閲覧。
- ^ “国民顧問に川端、高木氏ら:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年11月26日閲覧。
- ^ a b “2012衆院選 茨城5区 大畠章宏”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月20日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ 第140回国会 衆議院 法務委員会 請願3713号
- ^ a b 東京新聞、2012年12月12日
- ^ [1] NPO法人 日中国会議員書画展実行委員会
- ^ 秋田 佐竹北家 (PDF) 週刊朝日 2013年8月30日号(佐竹敬久公式サイト)
関連項目
編集- 東京都市大学の人物一覧
- 国民民主党国会議員一覧
- 電機連合(日立グループ連合)
外部リンク
編集- 前衆議院議員 大畠章宏 公式サイト - ウェイバックマシン(2017年10月14日アーカイブ分)
- 国民民主党茨城県総支部連合会
公職 | ||
---|---|---|
先代 馬淵澄夫 |
国土交通大臣 第15代:2011年 |
次代 前田武志 |
先代 直嶋正行 |
経済産業大臣 第13代:2010年 - 2011年 |
次代 海江田万里 |
議会 | ||
先代 高木義明 |
衆議院懲罰委員長 2015年 - 2016年 |
次代 中川正春 |
先代 (新設) |
衆議院憲法審査会会長 初代:2011年 - 2012年 |
次代 保利耕輔 |
先代 二田孝治 |
衆議院国家基本政策委員長 第11代:2009年 - 2010年 |
次代 樽床伸二 |
先代 横路孝弘 |
衆議院内閣委員長 2001年 - 2002年 |
次代 佐々木秀典 |
先代 鉢呂吉雄 |
衆議院石炭対策特別委員長 | 次代 赤松広隆 |
党職 | ||
先代 仙谷由人 |
民主党代表代行 2012年 - 2013年 |
次代 高木義明 |
先代 細野豪志 |
民主党幹事長 第14代:2013年 - 2014年 |
次代 枝野幸男 |
先代 鹿野道彦 |
素交会会長 第2代:2012年 - 2015年 |
次代 大島敦 |