大森光彦(おおもりみつひこ、1892年明治25年)6月13日 - 1954年昭和29年)5月19日)は、日本の陶芸家長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。愛知県立瀬戸窯業学校(現愛知県立瀬戸窯業高等学校)卒業。

長野県庁に勤務する傍ら善光寺焼を手伝う。上京し川崎市で働いた後、1924年(大正13年)東京府中野町に東野窯を開き陶磁器制作に専念し、松屋銀座や日本橋白木屋で個展を開く。1933年からは日本美術協会の審査員。その後東京工芸学校の講師を務め、興亜院大東亜省文部省の委嘱で中国大陸に渡った。

真紅の鶏血釉青磁に傾倒した[1]

弟子に辻輝子などがいる。

著書

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  • 「陶磁器及上絵楽焼の釉薬と絵具の調合法-実地応用」 泉秀堂、1925年
  • 「粘土細工と其楽焼の仕方」 図画手工社、1925年
  • 「趣味の陶芸」 誠文堂、1929年
  • 「陶窯巡り」 太陽堂書店、1930年
  • 「陶磁工芸の鑑賞」 成好堂、1931年

脚注

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  1. ^ 辰野美術館”. 八十二文化財団. 2013年3月24日閲覧。

参考文献

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  • 『日本美術年鑑 昭和30年版』 東京文化財研究所
  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年