大本寅治郎
大本 寅治郎(おおもと とらじろう、1887年7月21日[1] - 1961年9月25日[2])は、日本の発明家、実業家。妻・フサは樽井藤吉の長女[3]。
機械式計算機である「タイガー計算器」を発明した。
経歴
編集広島県深安郡出身[1]。岡山紡績株式会社鉄工部の見習工となり、備前紡績株式会社鉄工部、神戸湊川川上鉄工所、大阪府下稻畑染工場鉄工所、大阪府下毛斯綸紡織株式会社鉄工部、大阪砲兵工廠火砲第一工場などに勤務した[4]。明治38年(1905年)に大阪府西成郡豊崎村本庄(現・大阪市北区)において共同経営において鉄工業を創設した[4]。
大正元年(1912年)に鉄工業を合意解散し、西成郡豊崎村南濱に個人経営において大本鉄工業を創始し、機械の製作販売を行う[4][5]。大正6年(1917年)に大阪市北区富田町に工場を増設した[4]。大正8年(1919年)に大阪府西成郡鷺洲町海老江(現・大阪市福島区)に工場を新設し、2つの工場を移管統括した。
大正12年(1923年)に機械式計算機を完成させ、大本寅治郎の「寅」をとり、「虎印計算器」と命名した[4][5]。
会社を興してから、岡山市大工町高畑梅塾夜間部普通科を卒業し、山田千倉に就き機械学を学んだ[4]。また、大阪私立関西商工学校夜間部機械科を卒業した[4]。