大井信広
戦国時代の武将
大井 信広(おおい のぶひろ)は、戦国時代の武将。信濃国武石城主。大井光照の五男。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天文22年(1553年)8月? |
別名 | 大和守 |
墓所 | 信濃国信広寺 |
氏族 | 大井氏 |
父母 | 父:大井光照 |
兄弟 | 貞晴、貞家、信直、光忠、信広 |
子 | 大井某、信定、武石三郎信綱(養子)(大井行真子) |
概略
編集信濃国佐久郡大井城主の大井光照の五男で信濃国小県郡武石城主となる。 天文14年(1545年)に武田氏に降る[1]。しかし、天文22年(1553年)8月、村上氏を通じ上杉謙信方に寝返ったため、武田信玄に討たれる。この時、次男の和田城主信定も和田城で討死にしている。
脚注
編集- ^ 下武石の妙見寺に天文14年、武石城廃城の際「大井氏使用のおかご」が寄進されている。