堀直吉
堀 直吉(ほり なおよし)は、越後安田藩(村松藩)の第2代藩主。直寄系支流堀家2代。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永14年4月16日(1637年6月8日) |
死没 | 延宝4年10月25日(1674年11月30日)[1] |
改名 | 左門(幼名)、直吉 |
戒名 | 出障院殿観雪芳空大居士 |
墓所 | 東京都渋谷区の長泉寺 |
官位 | 従五位下、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 越後国安田(村松)藩主 |
氏族 | 堀氏 |
父母 | 父:堀直時 |
妻 | 正室:堀直次の娘 |
子 | 直利、直明(三男)、片岡利雄(四男) |
経歴
編集寛永14年(1637年)4月16日、初代藩主・堀直時の次男として生まれる。寛永20年(1643年)、父の死去により家督を継ぎ、同年4月から寛永21年(1644年)5月1日まで村上城在番を務めた。同年5月、領地替えで村松へ移り、村松藩主となる。
延宝2年(1674年)10月25日に死去。享年37。跡を次男の直利が継いだ。
系譜
編集父母
- 堀直時(父)
正室
- 堀直次の娘
子女