堀江しのぶ

日本の女性タレント、女優、歌手 (1965-1988)

堀江 しのぶ(ほりえ しのぶ、1965年昭和40年〉8月18日 - 1988年〈昭和63年〉9月13日)は、日本タレント女優歌手。本名は堀部 しのぶ(ほりべ しのぶ)。愛知県西春日井郡西枇杷島町(現:清須市)出身[2]血液型はA型。

ほりえ しのぶ
堀江 しのぶ
プロフィール
別名義 堀部 しのぶ(本名)
生年月日 1965年8月18日
没年月日 1988年9月13日
没年齢 23歳(数え24)
出身地 日本の旗 日本愛知県西春日井郡西枇杷島町
(現:清須市[1][2]
死没地 名古屋市南区三条中京病院[2]
血液型 A型
公称サイズ(2016年[3]時点)
身長 / 体重 162 cm / kg
スリーサイズ 90 - 62 - 93 cm
活動
デビュー 1983年
ジャンル タレント女優歌手
モデル内容 水着
モデル: テンプレート - カテゴリ

来歴・人物

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市邨学園高蔵高等学校(現:名古屋経済大学高蔵高等学校)在学中[2] の1983年(昭和58年)、クラリオンガールコンテストで平凡パンチ・アイドル賞を受賞、資質を認めた黒澤プロモーション(のちのイエローキャブ)に所属する[1][4]。翌1984年4月25日には「ビキニ・バケーション/BOY」(キティレコード(現:ユニバーサルミュージック)、作詞:売野雅勇、作曲:松田良)で歌手デビュー[1]。同楽曲は第10回日本テレビ音楽祭・新人賞部門にノミネートされている[5]

明るいキャラクターと健康的なプロポーションで人気アイドルとなり、ドラマやバラエティで活躍していた。巨乳ブームの先駆けでもあった[1]

1987年(昭和62年)頃、堀江は自ら「もう少し細くなりたい」とダイエットを試みる。その後体重が落ちて痩せた事から堀江はダイエットに成功したと喜んだ。ところが、1988年(昭和63年)の始め頃から腹痛や食欲不振などの体調不良を訴えるようになったが、この時は堀江が市販の胃腸薬を飲んで対処していた。しかし同年3月にはそれまで着る事が出来ていた服が着られなくなる程に腹部が張る異変が起きた事からある医療機関を受診。この時の医師から「もっと大きい病院で診察を受けて下さい」と紹介状を渡された。その後、同年4月8日に東京都内の病院で診察を受けた後、翌9日に緊急入院。当初、病名は「卵巣嚢腫(のうしゅ)」と発表されていたが、入院時にはすでにスキルス性胃癌(いがん)が卵巣にまで転移した末期癌の状況で、さらに6リットルもの腹水が溜まって癌性腹膜炎も併発しており、「余命2か月」との診断が下された[注 1]。その後、一部週刊誌が堀江の重病説を報道していたものの、堀江が所属するイエローキャブの社長・野田義治や家族の意向もあり、堀江本人には本当の病名は最後まで告知されなかった[7]

堀江の病状は一旦回復し、1988年5月頃に名古屋市南区にある中京病院へ転院。一時外出の許可が下り、母親と買い物に出るなどしていたが、間もなく容体が悪化。同年8月18日、堀江は23歳の誕生日を病室で迎えたものの、ベッドからも自力で起き上がれない状態だった。それから26日後の1988年9月13日午前4時28分、スキルス性胃癌のため死去[1][8]。戒名は「麗光貞忍大姉」[2]。また、堀江の生涯最期の言葉は「私、仕事がしたい…」だったという[2]。その言葉を聞いた野田は「しのぶ、仕事はたくさんあるからな。仕事、しような…」と優しく言ったが、堀江がそれに答えることはなかった[9]

エピソード

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  • クラリオンガールコンテストでの審査終了後、野田義治は堀江しのぶに名刺を差し出し「うちで仕事をしてみないか」と誘ったが、堀江は「この名刺には、労働大臣認可のマークがないので、お受けできません」と言った。野田は説明しながら「このコはしっかりしている」と思った[9]
  • 映画『』(1985年、東宝)への出演が決まったが、黒澤明の監督作品であり同作の撮影のため2年間ほかのスケジュールを入れられないことが判り、やむなく断念した[9]
  • 1986年(昭和61年)夏頃[いつ?]、テレビ番組『ビートたけしのスポーツ大将』の1コーナーとして後楽園球場で行われた野球のハーフタイムで歌を披露したことがある。
  • 幼少時より麻丘めぐみの大ファンで、堀江は麻丘に憧れて芸能界入りしたという[10]。麻丘とは1987年にTBS系ドラマ『すてきな三角関係 壁際族に花束を』で共演した。
  • 毎度おさわがせします』(TBS)で共演した板東英二や『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)で共演した横山やすしからは、娘のようにかわいがられていた。
  • 堀江はどんな仕事でも嫌がらず積極的にこなし、ほとんどの女性タレントが生理時にはNGとしている水着グラビア撮影も対策を講じ積極的に撮影に臨んでいたという。水着グラビアのモデルとしての最後の仕事は平凡パンチのグラビアであった。
  • 堀江が息を引き取った際、野田は堀江の両親から批難されることなどを覚悟していたが、両親は深々と頭を下げ、「野田さん。長い間、ありがとうございました」と言われたので、野田はかえって切なさで胸が締めつけられたという。また、堀江が亡くなった直後に両親へ横山やすしから電話が入り、「どうか気を落とさんようにしてください」と優しい口調で語りかけたという。芸能関係者で一番早く電話をかけてきたのが横山だった[9]
  • 細川ふみえは芸能界に入る前、堀江しのぶの大ファンであり、堀江の訃報をテレビで知った時、声をあげて泣いた[9]
  • 堀江は生涯スキャンダルには無縁であった。父親と母親も、娘は恋を知らぬまま逝ったと思っている[9]

出演

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映画

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テレビ

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ドラマ

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クイズ番組

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バラエティ

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情報番組

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歌番組

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イメージビデオ

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  • サマー・リフレイン(1987年、大陸書房
  • ときめき(1987年、大陸書房)
  • ちょっぴり大人に(1988年、大陸書房)
  • いつかは(1988年、大陸書房)
  • あなたの胸に(1988年、パワースポーツ) - 2008年、アストロシステムジャパンによりDVD化。

ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
Kitty Records
1st 1983年4月25日 ビキニ・バケーション BOY EP 7DS-0065
2nd 1983年9月25日 傷心 渚のメモリー EP 7DS-0078
日本コロムビア
3rd 1985年4月21日 地下鉄マドンナ 唇に涙 EP AH-584
トーラスレコード
4th 1987年4月6日 タンゴゲーム ペパーミントタイム EP 07TR-1153

アルバム

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オリジナルアルバム

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発売日 タイトル 規格 規格品番
日本コロムビア
1st 1985年6月21日 これで少女にGood bye! LP AF-7360
CT

映像作品

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発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル
1st 1984年 もっと大胆に、もっとショッキングに… VHS 6513-14 ポリドール
βマックス 6213-14
LD JM034-0013 レーザーディスク株式会社
2nd 1985年4月 これで少女にGood bye! VHS 88C69-9210 日本コロムビア
βマックス 88C69-9710
1985年5月21日 LD 68C59-6078
3rd 1986年12月21日 あっ夢感 VHS C69-9310
βマックス C59-6178
LD 88C69-9810

タイアップ

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楽曲 タイアップ 収録作品
タンゴゲーム TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』挿入歌 シングル「タンゴゲーム」
ペパーミントタイム オリエント時計 キャンペーンソング

書籍

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写真集

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演じた女優

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  • 小阪由佳:映画『巨乳をビジネスにした男』(2007年) - 堀川しおり(堀江しのぶがモデル) 役

関連項目

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参考文献

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脚注

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注釈

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  1. ^ 2024年5月7日放送された『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ系)では、「余命3か月」と紹介された[6]
  2. ^ 現・CBCテレビ
  3. ^ ドラマのタイトルにもなっている「バッグレディ(bag lady)」は、全財産を買物袋に入れて運ぶホームレスの女性を意味し、主にアメリカで用いられる俗語。
  4. ^ 主に1980年代から90年代にかけて関西地方で展開していたカー用品店チェーン。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.87.
  2. ^ a b c d e f サンデー毎日 1988年10月2日号 30 - 31頁
  3. ^ “伝説のグラドル・堀江しのぶさん、秘蔵カットが公開 日本におけるグラドルの第一人者”. ORICON NEWS (oricon ME). (2016年12月5日). https://www.oricon.co.jp/news/2082470/full/ 2023年2月4日閲覧。 
  4. ^ ヒロミ「グラビアから出る人の第1号」23歳で急逝の堀江しのぶさん紹介VTRに当時を回顧”. 日刊スポーツ (2024年5月7日). 2024年8月3日閲覧。
  5. ^ 第10回「日本テレビ音楽祭・決定最終ノミネート(新人賞部門) 80年代アイドル☆ピンク・レディー☆昭和TVワンダーランド
  6. ^ “23歳で亡くなった“伝説のアイドル”堀江しのぶさん『仰天ニュース』で特集 鶴瓶&中居は両親にも思いはせる”. ORICON NEWS (oricon ME). (2024年5月7日). https://www.oricon.co.jp/news/2325983/full/ 2024年5月7日閲覧。 
  7. ^ “野田義治「新・巨乳バカ一代」 堀江しのぶがスキルス性胃がんと判明 余命2か月の宣告に…”. 日刊ゲンダイDIGITAL (日刊現代). (2019年4月19日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/251786 2024年5月7日閲覧。 
  8. ^ 「堀江しのぶさん、23歳の死」読売新聞 1988年9月13日夕刊19面。
  9. ^ a b c d e f 『巨乳をビジネスにした男 野田義治の流儀』大下英治 2008年 講談社 ISBN 9784062146586、59頁、13 - 14頁、24 - 27頁、60頁、129 - 130頁、64・113頁
  10. ^ みうらじゅんの著書『みうじゃん』掲載の対談より。
  11. ^ バックレディに春が来た!”. ◇テレビドラマデータベース◇. 株式会社キューズ・クリエイティブ. 2024年5月9日閲覧。
  12. ^ 『プリンツ21 みうらじゅん ひとり大宴会』プリンツ212000年2月、p.84

外部リンク

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