坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 2019年6月29日[1])は、熊本県玉名郡玉名町[2]出身のプロ野球選手投手)。

坂上 惇
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県玉名郡玉名町(現:玉名市
生年月日 (1934-10-22) 1934年10月22日
没年月日 (2019-06-29) 2019年6月29日(84歳没)
身長
体重
180 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1954年
最終出場 1957年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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玉名高校から1952年西鉄ライオンズへ入団[2]

1954年シーズンにはローテーションに入り、7勝を挙げた。

1955年シーズン途中に大映スターズへ移籍。1957年に引退[2]

引退後、「坂上式バッティングマシン」を発案。知人で発明家だった河辺忠夫に相談して開発したもので、当時、自動式の打撃練習マシンは国内外にはなく、試作機を試した中西太や、長嶋茂雄も驚いたという[3]

そして旧交があった中澤会長のお墨付きをもらい、西鉄ライオンズや巨人軍など8球団が次々に導入。販売を手がける坂上は一躍、時の人となった。

しかし一度に200台を作って売り込むが、選手たちへの反応は芳しくなく、それならばとバッティングセンター用に改良。娯楽施設向けの機械として全国に売り込み、福岡水族館などにも設置された。

200台のマシンは完売したものの、社員に集金を持ち逃げされたことで坂上の会社は倒産。

その後は、後楽園球場の右翼スタンド下に日本で唯一の硬式バッティングセンターを開設し、球場が閉園するまで営業を続けた。[3]

2019年6月29日に死去[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1954 西鉄 44 12 1 1 1 7 1 -- -- .875 420 101 90 1 41 -- 1 31 0 0 32 25 2.23 1.29
1955 4 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 28 6.1 5 0 6 -- 0 1 0 0 1 1 1.29 1.74
大映 13 7 4 1 0 4 6 -- -- .400 293 74 57 4 26 -- 2 20 0 0 20 16 1.95 1.12
'55計 17 7 4 1 0 4 6 -- -- .400 321 80.1 62 4 32 -- 2 21 0 0 21 17 1.89 1.17
1956 25 10 1 1 0 1 4 -- -- .200 371 87.1 85 8 37 -- 3 23 2 0 40 34 3.48 1.40
1957 20 4 0 0 0 1 3 -- -- .250 214 48.2 49 5 20 -- 1 24 1 0 25 20 3.67 1.42
通算:4年 106 33 6 3 1 13 14 -- -- .481 1326 317.1 286 18 130 -- 7 99 3 0 118 96 2.72 1.31

背番号

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  • 23 (1952年 - 1955年途中)
  • 51 (1955年途中)
  • 15 (1956年 - 1957年)

脚注

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  1. ^ a b 元西鉄の坂上惇氏が6月29日に死去 通算13勝”. 日刊スポーツ (2019年8月2日). 2019年9月8日閲覧。
  2. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、241ページ
  3. ^ a b 益田啓一郎『伝説の西鉄ライオンズ』海鳥社、2014年5月10日、186-190頁。 

関連項目

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外部リンク

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