園 基祥(その もとさち、1833年12月21日天保4年11月11日) - 1905年明治38年)10月30日[1])は、江戸時代から明治時代公卿華族伯爵)。

 
園 基祥
時代 江戸時代
生誕 1833年12月21日天保4年11月11日
死没 1905年明治38年)10月30日
主君 仁孝天皇
氏族 園家
父母 養父:園基万
父親:園基茂
母親:松浦季子松浦清の娘)
兄弟 園基万、茂子、中山愛子中山忠能室)
園基資
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生涯

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権中納言園基茂の三男として生まれる[1]。後に園基万の養子となる。妻は小出英発の娘。子に園基資細川利文園祥子明治天皇の側室)らがいる[2]

恒久王妃昌子内親王北白川房子鳩彦王妃允子内親王東久邇聡子の外祖父にあたる。

1905年明治38年)10月30日、死去。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク)
  2. ^ 現代華族譜要』(日本史籍協会、1929年)p.357
  3. ^ 諸説あり。
日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
園家初代
1884年 - 1905年
次代
園基資