和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日[1]1870年6月10日) - 昭和12年(1937年12月3日[2])は、日本判事大審院長)、検事

和仁貞吉

経歴

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東京府出身。父の元利は宇都宮藩藩医だった。1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。1896年(明治29年)、浦和地方裁判所判事となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院判事、東京控訴院部長、大審院判事、京都地方裁判所所長、大阪地方裁判所所長を歴任。その間の1920年大正9年)4月には法学博士号を取得している。同年7月より検事となり、長崎控訴院検事長、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長を歴任した。

1924年(大正13年)、判事として東京控訴院院長に任命された。1931年(昭和6年)には大審院長に就任した[3]

脚注

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出典

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  1. ^ 『帝国法曹大観』p.65
  2. ^ 『官報』第3281号、昭和12年12月8日
  3. ^ 『官報』第1495号、昭和6年12月22日

参考文献

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  • 帝国法曹大観編纂会『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1929年。