呉淞笙
呉 淞笙(ご しょうしょう、ウ・ソンシェン、1945年4月4日 ~ 2007年12月23日)は、中国、オーストラリアの囲碁棋士。福建省生れ、中国囲棋協会などに所属、九段。一時韓国棋院、台湾棋院客員棋士。陳祖徳らとともに中国最初の九段として活躍。
呉淞笙 八段 | |
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名前 | 呉淞笙 |
生年月日 | 1968年6月22日(56歳) |
没年月日 | 2007年12月23日(62歳没) |
プロ入り年 | 1982年 |
出身地 | 福建省莆田市 |
師匠 | 林勉 |
段位 | 八段 |
概要 |
呉淞笙 | |
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プロフィール | |
出生: | 1945年4月4日 |
出身地: | 福建省莆田市 |
職業: | 囲碁棋士 |
各種表記 | |
繁体字: | 吳淞笙 |
簡体字: | 吴淞笙 |
ラテン字: | Wu Songsheng |
和名表記: | ご しょうしょう |
発音転記: | ウ・ソンシェン |
経歴
編集福建省莆田に生れ、上海で育ち、林勉に碁を学ぶ。1959年に上海囲棋集中訓練隊入り。劉棣懐、魏海鴻、汪振雄らに指導を受ける。1961年に国家囲棋集中訓練隊入り。1962年に全国囲棋個人戦に出場、3位となる。1964年の中国囲棋協会段位制開始時に、過惕生、劉棣懐、陳祖徳とともに最高段の五段となる。64、66年の全国個人戦では陳祖徳に次いで2位。それまでの「南劉北過」に代わって、「陳呉時代」とも呼ばれた。日中囲碁交流では、1963年訪中団の宮本直殻に定先で勝ち、64年訪日団に参加し4勝5敗、65年の訪日では4勝3敗、66年訪日では2勝3敗などの成績を収める。文化大革命後の1974年訪日では6勝1敗。1978年には牛之浜撮雄との三番碁に勝利。1982年に九段を贈られる。1983年、国家体育委員会から体育栄誉奨章受章。同年、国家囲棋集中訓練隊教練員となる。
1985年にオーストラリアに移住。1988年の第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦ではオーストラリア代表として出場、1回戦で趙治勲に敗れる。第2回大会ではシドニー代表として出場、依田紀基に敗れる。1989年から韓国棋院客員棋士となって、棋戦に参加。1996年第1回三星火災杯世界オープン戦では予選を勝ち抜いて出場、1回戦で馬暁春に勝ち、2回戦で劉小光に敗れる。1998-99年には台湾棋院客員棋士。
1999年に帰国、北棋牌学校副校長に就任。2000年、中国囲棋協会訓練センターの監督就任。同年、南方証券杯中国囲棋元老戦で、決勝で劉小光に0-2で敗れ準優勝。
2007年にシドニーの病院で死去。
主な棋歴
編集著書
編集- 『呉淞笙圍棋教室(初級篇)』2002年 人民体育出版社
- 『呉淞笙圍棋教室(入門篇)』2003年 人民体育出版社
- 『呉淞笙圍棋教室(昇華篇)』2006年 人民体育出版社