吉見氏頼
時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 三郎[1] |
戒名 | 道源[1] |
官位 | 掃部助、三河守、右馬頭[1] |
幕府 | 室町幕府 能登守護 |
主君 | 足利尊氏、義詮、義満 |
氏族 | 吉見氏 |
父母 | 吉見頼隆[1] |
子 | 家貞、詮頼 |
略歴
編集北陸の北朝方勢力として南朝方の桃井直常・直信らと能登国や越中国でしばしば戦う[1]。
観応の擾乱では足利尊氏に属した[1]。正平3年/貞和4年(1348年)頃、父・吉見頼隆の跡を継ぎ能登守護となり、正平7年/文和元年(1352年)再び復帰し、天授5年/康暦元年(1379年)まで在任する[1]。建徳元年/応安3年(1370年)今川貞世に代わり室町幕府の引付頭人となった[1]。