吉川 隆広(よしかわ たかひろ)は、寒河江氏18代当主・寒河江高基の弟で、出羽吉川氏の戦国武将。現在の山形県西村山郡大江町月布の大城に居城の徳蔵院を構えた[要出典]。大江町貫見で自害[1]寒河江高基最上義光に攻められ自害した際に隆広も大城で自害したという説もあり[2]

 
吉川隆広
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
戒名 松岩寺殿雲林照綱大居士
氏族 大江氏親広出羽吉川氏寒河江氏
父母 吉川元綱
兄弟 寒河江高基、吉川隆広、柴橋頼綱、宥光
天童頼澄
寒河江良光
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来歴

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その他

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  • 大城を築城した。城址のある高台は往時、蛾端(がば)と呼ばれ、この地に1581年、徳蔵院が創建されていた。開基は寒河江高基の実弟 隆広と伝えられている。隆広は蛾端に居住していた。月布川の中流域、南から北方向に半島状に張り出した丘陵上に築かれた平城である。規模は東西80m、南北170mほど、丘陵続きを掘で断ち切った単郭の城館と推測される。左沢から貫見に繋がる道が、城の縁部を通るよう繋がっていて軍事的、関所的な性格があったようである[3]
  • 現在の徳蔵院と隆広の墓所は寒河江市にある。寒河江市に移ったのは正保2年(1645年)[4]
  • 尚、隆広の子 良光寒河江家臣団の嘆願により、寒河江氏の名跡を継ぎ寒河江城主となっている。

脚注

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  1. ^ 大江親広公入部八百年記念誌”. 2022年11月4日閲覧。
  2. ^ 11 寒河江市・大江町の大江氏史跡(館・寺院)巡り”. 米沢日報デジタル. 2024年12月12日閲覧。
  3. ^ 11 寒河江市・大江町の大江氏史跡(館・寺院)巡り”. 米沢日報デジタル. 2024年12月12日閲覧。
  4. ^ ヒストリーロード詳細”. 寒河江市. 2024年12月10日閲覧。