吉川経章
吉川 経章(きっかわ つねあきら)は、江戸時代後期の周防国岩国領の第11代領主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政6年11月24日(1794年12月16日) |
死没 | 天保14年11月19日(1844年1月8日) |
改名 | 尚五郎(幼名)、礼賢、経章 |
戒名 | 亮功院英山道雄 |
墓所 | 山口県岩国市横山の洞泉寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 毛利敬親 |
藩 | 周防岩国領主 |
氏族 | 吉川氏 |
父母 | 父:吉川経忠、養父:吉川経礼 |
兄弟 | 経賢、経礼、経章、礼成 |
妻 | 正室:長井元簡娘・梅(清操院) |
子 | 経幹、小堀正明室 |
生涯
編集寛政6年(1794年)11月24日、第8代領主・吉川経忠の三男として生まれる。天保7年11月26日(1837年1月2日)に兄で第10代当主の経礼が死去すると、天保8年(1837年)1月19日、その養子として数え43歳で家督を相続した。天保14年(1843年)11月19日に死去する。享年50。家督は天保15年(1844年)1月14日、長男の経幹が継いだ。