南岩手郡
日本の岩手県にあった郡
郡域
編集歴史
編集郡発足までの沿革
編集- 盛岡城下[1]、仁王村、上田村、三割村、山岸村、上米内村、下米内村、浅岸村、加賀野村、新庄村、志家村、中野村、川目村、東安庭村、川又村、日戸村、門村、簗川村、藪川村、下太田村、中太田村、上太田村、猪去村、上鹿妻村、下鹿妻村、下厨川村、上厨川村、大釜村、篠木村、大沢村、土淵村、平賀新田、鵜飼村、滝沢村、本宮村、向中野村、仙北町村、雫石村、長山村、西根村、上野村、御明神村、橋場村、繋村、西安庭村、南畑村、鶯宿村、玉山村
- 明治元年
- 明治2年7月22日(1869年8月29日) - 白石藩が盛岡藩に転封。全域が再び盛岡藩領となる。
- 明治4年
- 明治4年
- 中野村が東中野村に改称。
- 盛岡城の廃城により、城内が内丸に改称して仁王村に編入。盛岡城下各町が仁王村、志家村、仙北町村、東中野村、新庄村、加賀野村、山岸村、三割村、上田村に字地として編入。(47村)
- 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
- 明治11年(1878年)11月26日
郡発足以降の沿革
編集- 明治12年(1879年)1月4日 - 岩手郡(第1次)が分割し、仁王村ほが49村の区域をもって南岩手郡が発足。郡役所が仁王村に設置。(49村)
- 明治17年(1884年) - 明治4年に盛岡城下から編入された盛岡町各町が所属する村名を冠する。盛岡町は各町の総称となる。
- 明治18年(1885年)1月 - 仁王村外五ヶ村役場の設置により、盛岡町の総称を廃止。
- 明治22年(1889年)4月1日
- 市制の施行により、仁王村、志家村、仙北町村[仙北町・仙北組町・青物町]、東中野村[寺の下・鉈屋町・川原町・新穀町・穀町・呉服町・十三日町・川原小路・鷹匠小路・六日町・上衆小路・馬町・馬場小路・大清水小路・上小路および肴町の一部]、新庄村[字尾崎前・鹿島下・田中・天神下]、加賀野村[字久保田・春木場・中通・角子・北井崎・田神松]、山岸村[山岸町]、三割村[下小路]、上田村[上田組町・上田与力小路・上田小路]の区域をもって盛岡市が発足し、郡より離脱。
- 町村制の施行により、以下の村が発足。特記以外は現・盛岡市。●は盛岡市に編入された区域を除く。(14村)
- 藪川村(単独村制)
- 玉山村 ← ●上田村[字下台を除く]、玉山村、川又村、日戸村
- 米内村 ← ●三割村、●山岸村、上米内村、下米内村、上田村[字下台]
- 浅岸村 ← ●加賀野村、●新庄村、浅岸村
- 簗川村 ← 簗川村、川目村、根田茂村、砂子沢村
- 中野村 ← ●東中野村、門村、東安庭村
- 本宮村 ← ●仙北町村、本宮村、向中野村、下鹿妻村
- 太田村 ← 上太田村、中太田村、下太田村、上鹿妻村、猪去村
- 御所村 ← 南畑村、鶯宿村、西安庭村(現・岩手郡雫石町)、繋村(現・盛岡市、岩手郡雫石町)
- 御明神村 ← 御明神村、上野村、橋場村(現・岩手郡雫石町)
- 西山村 ← 西根村、長山村(現・岩手郡雫石町)
- 雫石村(単独村制。現・岩手郡雫石町)
- 滝沢村 ← 滝沢村、鵜飼村、大沢村、篠木村、大釜村(現・滝沢市)
- 厨川村 ← 上厨川村、下厨川村、土淵村、平賀新田
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南岩手郡・北岩手郡の区域をもって岩手郡(第2次)が発足。同日南岩手郡廃止。
行政
編集特記なき場合『岩手郡誌』による[3]。
- 南岩手郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 谷河尚忠 | 明治12年(1879年)1月4日 | 明治13年(1880年)6月23日 | |
2 | 宮部謙吉 | 明治13年(1880年)6月23日 | 明治13年(1880年)10月23日 | 廃官 北岩手・南岩手・紫波郡長へ転任 |
- 北岩手・南岩手・紫波郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 宮部謙吉 | 明治13年(1880年)10月23日 | 明治25年(1892年)11月1日 | 北岩手郡長より転任 |
2 | 松橋宗之 | 明治25年(1892年)11月1日 | 明治30年(1897年)3月31日 | 北岩手郡との合併により南岩手郡廃止 |
脚注
編集参考資料
編集- 『岩手郡誌』岩手県教育会岩手郡部会、1941年 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302。
関連項目
編集先代 岩手郡(第1次) |
行政区の変遷 1879年 - 1897年 |
次代 岩手郡(第2次) |