南尚
南 尚(みなみ しょう、1935年1月6日 - )は、日本の実業家。株式会社ダイゾー代表取締役会長、株式会社大島造船所最高代表取締役会長、株式会社銀座クルーズ代表取締役相談役、日本駐箚チリ共和国名誉領事。旧姓は勝沼(かつぬま)。
みなみ しょう 南 尚 | |
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生誕 |
勝沼 尚(かつぬま しょう) 1935年1月6日(89歳) 大阪府 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
職業 |
ダイゾー会長 大島造船所会長 |
配偶者 | 南和子(妻) |
子供 |
南安子(長女) 南尚子(二女) |
親 | 勝沼学(父) |
親戚 |
南俊二(義祖父) 南景樹(岳父) 南保夫(義叔父) 南宣之(娘婿) |
概要
編集生い立ち
編集1935年、大阪府にて生まれた。上京して慶應義塾大学に進学し[1]、法学部の政治学科にて学んだ[1]。1957年に慶應義塾大学を卒業し[1]、学士号を取得した。同年、阪急百貨店に入社し[1]、デパートマンとして活動する。また、阪急百貨店の会長であった清水雅の秘書を務めた[1]。9年後、同社から大阪造船所に転じた[1]。
経営者として
編集1970年、大阪造船所の取締役となった[1]。1973年には、大阪造船所の子会社である大島造船所にて取締役に就任した[1]。1977年に同社常務、1980年に同社専務、1988年に同社副社長、1989年に同社社長に就任した[2]。当時の造船業界は造船不況とも呼ばれた苦境に立たされていたが、南は「選択と集中」政策を採用し、ばら積み貨物専用船の製造に特化する経営戦略を打ち出した[3]。また、円高による苦境を見越して社内に非常事態宣言を発令したうえで、その危機感を従業員らに浸透させるため、従来は掲揚が躊躇われることが多い「Z旗」をあえて掲揚するなど、斬新な策を打ち出した[3]。
1990年、大阪造船所の会長に就任した。1993年には同社の社長に就任した。1995年には大島造船所の最高代表取締役に就任し、2009年からは会長も兼任している[1][3]。また、1999年には、チリから名誉領事に任命されている[3][2]。現在も、ダイゾーの代表取締役としてダイゾーグループを率いている。
家族・親族
編集尚の妻は、「日本の三大億万長者」と謳われた南俊二に連なる一族の出身である。尚と同じく慶應義塾大学の卒業生であるが、在籍した学部は異なっており、同大学の経済学部を卒業し経済学士号を持つ。また、かつて大阪造船グループを率いた南景樹は、尚の岳父にあたる。義叔父の南保夫は、大阪造船所の副社長をはじめ大洋製鋼の会長などを歴任した。東洋オリーブの社長などを歴任した南宣之は、尚の娘婿にあたる。長女の南安子と二女の南尚子も、実業家となった。そのほか、大洋製鋼の専務などを歴任した南元一は、保夫の長男であるため尚の義従弟に該当するなど、著名な係累縁者が多数存在するため、下記の一覧では尚の親族に該当する者のみ記載した。
系譜
編集南数治郎 | 南俊二 | 南景樹 | 南和子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南安子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南保夫 | 南尚 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南宣之 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南尚子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略歴
編集栄典
編集- 1993年 - 国王功労勲章第一級リッデル章(ノルウェー)。
- 1993年 - ベルナルド・オヒギンス勲章(チリ)。
脚注
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集ビジネス | ||
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先代 南景樹 |
大阪造船所社長 第3代 : 1993年 - 1999年 |
次代 南宣之 |
先代 渡辺武雄 |
大島造船所社長 第4代 : 1989年 - 2005年 |
次代 中川齊 |