七北田丘陵
七北田丘陵(ななきたきゅうりょう)は、宮城県中南部において、奥羽山脈から東に延びる舌状台地であり、松島丘陵(狭義)と平行に、その南側で東西に横たわる丘陵。陸前丘陵の一部。
七北田丘陵 | |
---|---|
位置 | 北緯38度18分8秒 東経140度51分44秒 / 北緯38.30222度 東経140.86222度 |
所在地 | 宮城県仙台市 |
プロジェクト 山 |
画像外部リンク | |
---|---|
東北大学史料館 | |
台ノ原より七ツ森を望む / 大正14年(1925) 住宅地として開発される前の七北田丘陵。全体的になだらかで、台原から七ツ森まで見渡せた。 |
定義
編集広義の七北田丘陵は、北端を七北田川、南端を広瀬川(西側)および梅田川(東側)、東端を長町 - 利府線断層帯によって囲まれる丘陵である。奥羽山脈から連なる舌状台地であるため、西端は定義されない。
広義の七北田丘陵は、地質によって大きく2つに分けられる。その境界は、大崎八幡宮の西側から国見峠にある仏舎利塔の北側を通って泉ビレジの南側を通る線となっている。この線の北東側は、狭義の七北田丘陵で、主に仙台層群(凝灰質-シルト質の陸成・海成層)が分布する。旧市町界で仙台平野を一望出来る国見峠に因んで「国見丘陵」と呼ばれ、梨野層(後期中新世の火山活動による火山性崩壊堆積物)が分布する[1]。権現森[2]は、広瀬川と挟んで対峙する蕃山(主峰は標高373mの西風蕃山(ならいばんざん))と地質が同じである。
七北田丘陵(狭義)の南側は台原段丘と呼ばれる。現在は梅田川に面するが、この段丘は南遷する以前の広瀬川の河岸段丘となっており、標高40-90mに「台原面」と呼ばれる段丘面を持ち[3]、その南側に明確な段丘崖が見られる。また、七北田丘陵(狭義)内を開析して流れる梅田川より南側にある樹枝状丘陵部分は「北山丘陵」と呼ばれることがある。
概要
編集七北田丘陵は仙台市を東西に横切り、尾根線などが北側の泉区と南側の青葉区の境界となっている。権現森の東にある国見峠は、合併前の旧宮城町との市町境界でもある。
七北田丘陵(狭義)と権現森とは、地質の違いと仙台市の合併・政令指定都市化前の旧自治体の違いもあって、土地利用に大きな差異がある。七北田丘陵(狭義)は、昭和の高度経済成長期以降に住宅地として開発が進み、仙台市の人口増加を支えた。住宅地開発の一方で、1973年(昭和48年)には「杜の都の環境をつくる条例[4]」が制定されて自然林を残す努力もなされ、台原森林公園や水の森公園[5]、あるいは台原緑地(台原段丘の段丘崖)[6]など、現在、市民の憩いの場となっている風致地区も多い。他方、権現森付近はほとんど開発がされず、現在も多くが森林として残る。その一方で、合併前の仙台市の西端にあたる地域には、火葬場(以前は北山丘陵南側の寺社地集積地および東北大学病院に近い三条町にあった)や仙台市葛岡墓園、葛岡清掃工場などが設置された。
北山丘陵および台原段丘は仙台城の城下町の北端を成し、城下町がある広瀬川の河岸段丘より一段高い。丘陵・段丘上には、大崎八幡宮・北山五山・青葉神社・仙台東照宮など、主に寺社が並んでいる。仙台城の城下町は軍事的な理由で周囲を丘陵地に囲まれる地を選んで建設されたため、西から南側の青葉山丘陵や東側の榴ヶ岡なども、北山丘陵および台原段丘と同様に寺社地となっている。
蕃山と権現森により、広瀬川中流域は西の愛子盆地と東の仙台平野に分けられている。広瀬川は、権現森と蕃山との間の狭部を蛇行しながらV字谷を形成して東流し、V字谷沿いに国道48号(作並街道)やJR仙山線が同様に蛇行して通る。