勝芳孝
勝 芳孝(かつ よしたか、1915年5月5日[1] - 没年不詳)は、日本の華族、実業家。新興製作所代表取締役社長、伯爵。徳川慶喜の孫および勝海舟の曾孫であり、勝家第3代当主[2][3]。
人物・経歴
編集1915年(大正4年)5月、父・勝精(徳川精、徳川慶喜の十男)と母・勝伊代(勝小鹿の長女)の長男として生まれる[2][4]。
1941年(昭和16年)に出征し、ラバウルの陸軍部隊にいて終戦を迎える。一時戦死したとの誤報も流れた中、赤坂・氷川の邸宅も空襲で焼かれた。わずかに土蔵が残ったものの、これも戦後のどさくさの中で、伯爵家の執事の三太夫に持ち出され、散逸したものが多いという。名刀や名剣の類は、進駐軍のアメリカ軍人らに持ち出された[4]。
1947年(昭和22年)、帰国した芳孝は、家計を整理し家財を買戻し、勝家の墓地の整理を行った[4]。
1980年(昭和55年)3月、新興製作所代表取締役社長に就任する[5]。
芳孝は勝家の3代当主として伯爵を襲爵し、家系はその長男・芳邦(1961年 -2016年)に続いた。
家族
編集- 妻・坂本和子(1925年 - 不明)‐ 坂本英一の娘
- 長男・勝芳邦(1961年 -2016年)- 大田区立勝海舟記念館(2019年オープン)の開設準備の際には区の検討委員会のメンバーとしてアドバイザーを務めた[7]。
脚注
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成 上』霞会館、1996年、p.424。
- ^ a b 閨閥学 『勝家(勝海舟・勝芳孝・勝精の子孫・家系図)』
- ^ 直球和館 『勝海舟伯爵家 大臣』 2023年2月13日
- ^ a b c d 勝海舟 下(新装版),勝部真長,PHP研究所,2009年10月
- ^ 衆議院 『答弁本文情報 内閣衆質九三第一六号』
- ^ 長崎市 游学のまち長崎 長崎游学者 『勝海舟(1823年~1899年)』 2015年11月20日
- ^ 岡高志 行政書士事務所『勝海舟記念館が洗足池のほとりに2019年夏オープン』
爵位 | ||
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先代 勝精 |
伯爵 勝家第3代 1932年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |