勝田有恒
勝田 有恒(かつた ありつね、1931年4月2日 - 2005年4月26日)は、日本の法制史学者。一橋大学名誉教授。専門は西洋法制史。1991年比較法史学会設立発起人・同学会理事就任、1995年同学会理事長就任。1983年日本学術会議政治学・法律学研究連絡委員。1998年法文化学会設立発起人・同学会顧問就任。
人物情報 | |
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生誕 |
1931年4月2日 日本熊本県熊本市 |
死没 | 2005年4月26日 (74歳没) |
出身校 | 一橋大学 |
学問 | |
研究分野 | 基礎法学 |
研究機関 | 一橋大学・駿河台大学 |
指導教員 | 町田實秀 |
主な指導学生 |
山内進(一橋大学元学長) 森征一(慶應義塾大名誉教授) 松本尚子(上智大学教授) 屋敷二郎(一橋大学教授) 津野義堂(中央大学名誉教授) |
学位 | 法学修士 |
経歴
編集1931年、熊本県熊本市生まれ。1944年、東京高等師範学校附属国民学校(筑波大学附属小学校の前身)卒業。1948年、鹿児島県立第一鹿児島中学校(県立鶴丸高校の前身)4年を修了し、1949年に第七高等学校(鹿児島大学の前身)理科1年修了。一橋大学法学部に進み、町田實秀に師事した。1957年に卒業し、同大学大学院に進む。1960年、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士[1]。
卒業後は、1960年より母校である一橋大学法学部助手となった。1963年に一橋大学法学部講師に昇進し、1966年に一橋大学法学部助教授に昇進。西ドイツフンボルト財団給費生としてマックス・プランク・ヨーロッパ法史研究所留学(ヘルムート・コーイングに師事)を経て、1975年、一橋大学法学部教授に昇進。1986年から1988年まで一橋大学法学部長をつとめた。1995年、同大を定年退官し、名誉教授となった。その後は、駿河台大学比較法研究所所長兼国際交流委員長となった。1995年4月より駿河台大学法学部教授(西洋法制史・比較法担当)[2][1]。1999年から大学院法学研究科長。2005年1月、肝臓がんの疑いで検査入院し、同年3月に駿河台大学を停年退職した。そして、同年4月に死去[2]。
このほかにも、生前は京都大学大学院、名古屋大学大学院、亜細亜大学大学院、明治大学大学院、成蹊大学、獨協大学、立教大学、法政大学、慶應義塾大学、國學院大學、山形大学、東京女子大学等で教鞭をとった。また武蔵野市情報公開委員会委員長、武蔵野市特別職報酬等審議会会長、飯能市入札監視委員会委員長等も務めた。
受賞・栄典
編集研究内容・業績
編集共著
編集脚注
編集- ^ a b 勝田有恒名誉教授略歴一橋論叢 日本評論社 1996-01-01
- ^ a b c d e f 勝田有恒先生の死を悼む駿河台法学 19 (2), 1-3, 2006-02-28