加藤俊夫 (政治家)
日本の政治家 (1885-1943)
加藤 俊夫[1](かとう としお、1885年(明治18年)8月1日[2] - 1943年(昭和18年)6月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集愛媛県新居郡新居浜村(現在の新居浜市)出身[2][3]。加藤省吾の長男[2][4][5]。
東京正則中学校[1]、日本大学専門部法律科を修業[2][3]。1908年より広島市に出て、日の丸電線株式会社広島出張所を経営するなどし、さらに広島市場信用組合専務理事を務めた[2]。
広島市会議員、同副議長、同議長、広島県会議員、同議長を歴任する[3]。1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では広島1区(当時)から非推薦で立候補して当選した。当選後は翼賛政治会に入り、大政翼賛会広島県協力会議長、同中央協力会議員となった[3]。
翌1943年に死去した。
人物
編集加藤民部少輔(居村御代島にその城跡がある)の子孫である[2]。1893年、家督を相続する[4][5]。愛媛県在籍で、住所は広島県広島市宇品町[4][5]。
家族・親族
編集- 加藤家
- 祖父・庫二 - 旧西条藩主より大庄屋格を申付けられ、御代島並びに魚市場を拝領し、維新後里正、後戸長をつとめる[2]。
- 父・省吾 - 加藤家に養子となる[2]。
- 母・マサ(1862年 - ?、祖父・庫二の長女)[4][5]
- 妻・ノブ(1897年 - ?、島根、伊藤為太郎の二女)[4][5]
- 姉・コト(1884年 - ?、藤田若水の妻)[4][5]
- 妹、弟[4][5]
- 親戚
脚注
編集- ^ a b 『翼賛選挙大観』105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『愛媛県人物名鑑 第4-5輯』県外(かの部)8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月23日閲覧。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』162、163頁。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 上』カ24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』カ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
参考文献
編集- 『愛媛県人物名鑑 第五輯』海南新聞社、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 『翼賛選挙大観』朝日新聞社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。