劉興 (北海王)
後漢の皇族。劉縯の次男。
経歴
編集劉縯の次男として生まれた。26年(建武2年)、魯王に封じられ、光武帝の兄の劉仲の後を嗣いだ。37年(建武13年)、魯公に降封された[1]。39年(建武15年)、試みに緱氏県令を代行した。劉興は知謀に明るく、人の訴えを良く聞いたことから、名声を得た。弘農太守に転じ、やはり善政で知られた。太守として政事をみること4年、引退を願い出た。洛陽に召還されて、奉朝請とされた。43年(建武19年)、魯王に進められた[1]。51年(建武27年)、はじめて魯国に下向した。52年(建武28年)、魯国が東海国に編入され、このため劉興は北海王に徙封された。
56年(建武中元元年)2月、光武帝が東巡して泰山に詣でると、劉興は東嶽で参朝した[1]。63年(永平6年)1月、明帝のもとに参朝した[2]。64年(永平7年)8月戊辰[2]、劉興は死去した。
子の劉睦が後を嗣ぎ、北海王として立った。
子女
編集- 北海敬王 劉睦(後嗣)
- 臨邑侯 劉復
57年(建武中元2年)、さらに劉興の2子が県侯に封じられた。
脚注
編集伝記資料
編集- 『後漢書』巻14 列伝第4