劉寿(劉壽、りゅう じゅ、生年不詳 - 120年)は、後漢の皇族。済北恵王。
章帝と申貴人のあいだの子として生まれた。90年(永元2年)5月丙辰、済北王に封じられ、泰山郡を分割して済北国とした。兄の和帝は章帝のやりかたを踏襲して、兄弟たちをみな京師洛陽にとどめ、官僚たちが諸王の赴任を求めても許そうとしなかった。和帝が死去すると、劉寿は済北国に赴任した。120年(元初7年)3月丁酉、劉寿は死去した[1]。諡は恵といった。