姓名 劉喜
時代 前漢時代
生没年 生年不詳 - 前193年恵帝3年)
字・別号 仲(字)
本貫・出身地等 沛県豊邑中陽里
職官
爵位・号等 代王〔前漢〕→郃陽侯〔前漢〕

→呉頃王〔没後〕

陣営・所属等 高祖恵帝
家族・一族 父:劉太公 母:劉媼

兄:劉伯 弟:劉邦 劉交
一族:劉沢〔従父〕 劉賈〔従兄弟〕
子:劉濞 劉広

劉 喜(りゅう き、? - 紀元前193年)は、前漢初期の皇族。諡号頃王沛県豊邑中陽里の出身。劉太公劉媼夫妻の次男で劉邦(高祖)の兄。劉伯の弟。呉王劉濞の父。

前漢成立以前の動向については不明だが、紀元前201年に弟の劉邦により代王に封じられた。しかし、領内に匈奴軍が侵攻すると、戦わずして逃亡した。本来ならば死刑に相当する重罪であるが、肉親を処刑するのは忍びないとする劉邦の意向で、王位を剥奪、郃陽侯に降格されることで許された[1]

紀元前196年、子の劉濞が呉王に封じられ、それから3年後に劉喜は死ぬが、その際に頃王の諡号が贈られた。

宗室

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 司馬遷『史記』巻一百六 呉王濞列伝第四十六