前田利久 (藩主)
日本の江戸時代後期の大名。越中富山藩5代藩主前田利幸長男で、富山藩7代藩主。従四位下出雲守・長門守
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前田 利久(まえだ としひさ)は、江戸時代中期から後期の大名。越中富山藩の第7代藩主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦12年3月16日(1762年4月10日) |
死没 | 天明7年8月7日(1787年9月18日) |
改名 | 隆丸(幼名)、利久 |
別名 | 又三郎(通称) |
戒名 | 恭徳院殿寛柔日善大居士 |
墓所 | 富山県富山市長岡の長岡御廟 |
官位 | 従五位下、出雲守、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 越中富山藩主 |
氏族 | 加賀前田氏 |
父母 |
父:前田利幸、母:市原氏(律) 養父:前田利與 |
兄弟 | 春子(石川総博正室)、利久、豊子(前田利物正室) |
子 | 実子:なし、養子:利謙 |
生涯
編集宝暦12年(1762年)3月16日、第5代藩主・前田利幸の長男として富山で生まれる。父・利幸が死去した時に生まれて間もなかったため、家督は叔父の利與が継いだ。宝暦13年(1763年)8月16日に利與の養子となり、安永6年(1777年)11月8日に利與の隠居に伴い家督を継いだ。
系譜
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