前橋汀子
前橋 汀子(まえはし ていこ、1943年12月11日 - )は、日本のヴァイオリニスト。
前橋 汀子 | |
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生誕 | 1943年12月11日(81歳) |
出身地 | 日本 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
来歴
編集父は旧制武蔵高等学校から京都帝国大学文学部史学科に進み仏教美術を学んだ高等学校教員、母は専業主婦だった。父が好きだった俳人・中村汀女に因んで命名された。
東京学芸大学附属大泉小学校から立教女学院中学校へ進学したが、日曜日に礼拝があり、ヴァイオリンの練習時間が十分に確保できないこと、女子校ゆえに何となく居心地の悪さを感じていたことから1年で中退し、練馬区立石神井中学校に転入した[1]。
白系ロシア人音楽教師の小野アンナと、桐朋学園「子供のための音楽教室」の斎藤秀雄に師事。少女時代にヨーゼフ・シゲティとダヴィッド・オイストラフの来日演奏会に接し、ヴァイオリニストの道を志す。
中学生からロシア語を独学し、17歳でレニングラード音楽院に留学(ミハイル・ヴァイマンに師事)。
1963年、一時帰国して新ウィーン楽派や同時代の音楽への興味から、ジュリアード弦楽四重奏団のロバート・マンに入門すべく渡米し、ニューヨーク州のジュリアード音楽院に留学、名伯楽として知られるドロシー・ディレイ教授にも師事。さらにニューヨークから渡欧して、スイスはモントルーにてヨーゼフ・シゲティとナタン・ミルシテインの薫陶を受ける。シゲティの他界後もモントルーに暮らし、最晩年のチャップリンやココシュカとも親交を結んだ。
国際的に活躍。レオポルド・ストコフスキーの指揮によりカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを果たしたほか、ズービン・メータ、クルト・マズア、小澤征爾、クリストフ・エッシェンバッハら著名指揮者のもと、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やロサンジェルス・フィルハーモニック、クリーヴランド管弦楽団などの一流オーケストラとも共演している。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団やチューリヒ・トーンハレ管弦楽団とは録音も行なってきた。
2007年、エクソンモービル音楽賞受賞。
人物・演奏スタイル
編集テレビ出演
編集- 私の音楽会(日本テレビ)1973年から1982年の間に7回出演。
- 第33回NHK紅白歌合戦(1982年12月31日、NHK総合・ラジオ第1) - 審査員
- 徹子の部屋(テレビ朝日) 数回出演。2021年6月8日が最新(2014年3月24日の徹子の部屋クラシック特集にも出演)
- 夜のヒットスタジオ(1984年9月17日、フジテレビ)(ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」とクライスラーの「美しきロスマリン」を前橋由子の伴奏で演奏。)
- 今夜も生でさだまさしスペシャル「いつでも夢を!朝まで生で音楽会」(2013年3月31日、NHK総合)
- 今夜も生でさだまさしスペシャル ~朝まで生で音楽会2014~(2014年3月30日、NHK総合)
ラジオ出演
編集- 関西発ラジオ深夜便[6] 午前4時台『明日へのことば』<ヴァイオリンと生きて 演奏活動60年 前橋汀子> きき手:武田真一(2022年9月3日、NHKラジオ第1・FM)「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ パルティータ第3番ホ長調 BWV1006 ガヴォット&ロンド」を演奏した。
書籍
編集著書
編集- 『私のヴァイオリン 前橋汀子回想録』早川書房、2017年8月。ISBN 978-4-15-209705-7。
- 『ヴァイオリニストの第五楽章』日経BP、2020年11月。ISBN 978-4-53-217690-7。
共著
編集脚注
編集- ^ “前橋汀子(7)斎藤秀雄先生”. 日本経済新聞 (2018年10月7日). 2021年12月18日閲覧。
- ^ 春の褒章、705人24団体が受章:社会:YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ “紫綬褒章:受章者 野田秀樹さんら25人”. 毎日新聞 (2011年6月15日). 2011年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “平成29年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 2 (2017年4月29日). 2023年5月27日閲覧。 アーカイブ 2022年3月1日 - ウェイバックマシン
- ^ 前橋汀子「チャイコフスキー&メンデルスゾーン/ヴァイオリン・コンチェルト」解説(CBSソニー、28DC 5232)
- ^ NHK大阪放送局制作。