前少帝 (前漢)
前漢3代
少帝(しょうてい)は、前漢の第3代皇帝(歴代皇帝に含まない場合もある)。一般に諱は恭とされるが、『史記』・『漢書』およびその注にその記録はなく、近代日本において「劉某」が誤写されたのが初出と考えられる[1]。『太平御覧』などでは前少帝と書かれる。
前少帝 | |
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前漢 | |
第3代皇帝 | |
王朝 | 前漢 |
在位期間 |
恵帝7年8月13日 - 高后4年5月11日 (前188年9月27日 - 前184年6月15日) |
都城 | 長安 |
姓・諱 | 劉、諱不詳 |
生年 | 不詳 |
没年 |
高后4年5月11日 (前184年6月15日) |
父 | 恵帝 |
生涯
編集恵帝(劉盈)と後宮の女性との間に生まれた。恵帝死後、張皇后(魯元公主の娘)が嗣子をもうけていなかったため、呂太后の支持を得て即位した。この際、呂太后の外孫にあたる張皇后が生んだ子であると公表するために、生母たる女官は殺害されたといわれる。
少帝が成長してこの事実を知ると、呂后を恨むようになった。呂后が少帝の怨恨を知ると、後難を恐れた呂后は少帝を幽閉、重病であるとして廃位した。それから間もなく少帝は殺害された。
史料
編集登場作品
編集- テレビドラマ
- 『劉邦の大風歌 -漢建国記-』(2009年、中国、演:丁沢恩)
- 『美人心計〜一人の妃と二人の皇帝〜』(2012年、中国、演:劉沢龍)
脚注
編集- ^ 山田崇仁「前漢前少帝の諱について」『立命館東洋史学』第40号、2017年、63-102頁。