冨田 康祐(とみた こうすけ、1988年4月24日 - )は、愛知県西春日井郡西春町(現:北名古屋市)出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

冨田 康祐
横浜DeNAベイスターズ時代
(2012年4月1日、横須賀スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県西春日井郡西春町(現:北名古屋市
生年月日 (1988-04-24) 1988年4月24日(36歳)
身長
体重
186 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り NPB / 2011年 育成選手ドラフト1位
初出場 NPB / 2013年8月6日
最終出場 NPB / 同上
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

編集

プロ入り前

編集

野球に興味を持つきっかけとなったのは、父親が「男の子だから」と買い与えたおもちゃのバットとグローブだったという[1]。小学生時代は、地元のスポーツ少年団(白木ウイングス)に所属するとともに、投手兼捕手で4番打者を任されていた。小学校の卒業文集には、「智弁和歌山に進学し、2年でサードのレギュラーを獲得し甲子園に出場する」と書いていた[1]

中学生時代は、ボーイズリーグの稲沢中央ボーイズ(愛知県稲沢市)に所属[2]すると同時に、学校の野球部にも所属。毎日のランニングと素振りを欠かさず「体力づくり」に専念した[1]。稲沢中央ボーイズでもエースとして活躍した。

中学卒業後、PL学園高へ進学。地元を離れて名門校へ「野球留学」することについて、周囲からは反対されて本人もかなり悩んだ。しかし中学校の恩師の後押しもあり進学を決めた[1]

PL学園高時代は、1年時の秋からベンチ入り。3年時は、前田健太の控え投手外野手として第78回選抜高等学校野球大会に出場。8番・中堅手として全試合にスタメン出場。準決勝の清峰高戦では、3番手として登板し1回を無失点に抑えたが、チームは敗退しベスト4に終わる。夏は、大阪大会準々決勝で東大阪大柏原高に敗れ、選手権大会出場は3年間で果たせなかった。

高校卒業後は、MLB挑戦を検討していた[3]が、最終的に東都大学野球連盟に加盟する青山学院大学に進学した。1年時の春からリーグ戦に出場を果たすも、以後は右肘の故障もあり、1部通算7試合の登板で1勝1敗、4年春・2部でも1試合のみに終わった。4年時の2010年秋にプロ志望届を提出したが、同年のNPBドラフト会議では、どの球団からも指名されなかった。指名漏れ後は大学を中退している。

独立リーグ・香川時代

編集

2011年1月27日、四国アイランドリーグplus香川オリーブガイナーズに球団独自トライアウトを経て入団[4]。同年は、抑えとしてリーグ戦64試合中48試合に登板[5]。3勝3敗9セーブ、防御率はリーグ2位の1.39を記録し[6]、球団の後期優勝に貢献。リーグの後期MVPに選ばれた[7]。当時、ホームゲームでクローザーとして登板する際にはスタジアムDJ(藤沢翼)から「イッツ トミ タイム!」という登場コールを受けていた[8]

2011年のNPB育成ドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。育成選手として入団した。背番号は111

横浜時代

編集

2012年には、イースタン・リーグ公式戦10試合に登板。0勝1敗、防御率6.00という成績を残した。チームメイトであったランディ・ルイーズからの誘いをきっかけに、シーズン終了後の11月30日から12月28日まで、プエルトリコウィンターリーグに参加した[9]

2013年には、7月29日付で支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を68に変更。8月6日の対読売ジャイアンツ戦(郡山総合運動場開成山野球場)に、救援で一軍デビューを果たした。その一方で、イースタン・リーグ公式戦では、19試合の登板で1勝0敗6セーブ、防御率1.77を記録した。

2014年には、イースタン・リーグ公式戦20試合に登板。0勝2敗4セーブ、防御率3.27という成績を残した。しかし、一軍公式戦への登板機会はなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[10]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[11]

レンジャーズ傘下時代

編集

2014年11月には、NPBの第1回12球団合同トライアウトに参加[3]。シートバッティング形式で対戦した4人の打者を、全員無安打に抑えた。トライアウトの直後には、MLBテキサス・レンジャーズからマイナー契約のオファーを受けていることが報じられた[3]

2015年1月14日にマイナー契約を結ぶ[12]。ショートシーズンA級スポケーン・インディアンス(Spokane Indiansノースウェストリーグ)所属の投手として臨んだリーグ戦[13]では、オール中継ぎで17試合へ登板すると、勝敗は付かなかったものの2セーブ、防御率4.71という成績を残した。しかし、2016年1月13日に、球団から契約を解除された[14]。その後は12月から1月にオーストラリアのリーグ(ABL)に短期参加ののち、前年に続いて古巣である香川の自主トレに参加[15]。2月下旬に渡米して複数のチームでテストを受ける予定と述べていた[15]

レンジャーズ傘下退団後

編集

2016年4月から、メキシカンリーグの下部リーグであるLiga Norte de MexicoのRojos De Caborcaに所属していた[16]。アメリカの代理人とメールでのやりとりを経て開幕1週間前に契約が決まったもので、冨田本人と代理人の認識は下部リーグではないメキシカンリーグへの所属だったが、通訳を挟んでの交渉の行き違いがあったためか、実際に現地に行った際に下部リーグであったことを知ったという。開幕投手を任され、活躍を続けていたものの、給料未払い問題が発生し、そのタイミングで台湾プロ野球のオファーもあったことから在籍1か月程度で退団を決意した[17]。退団後、台湾に移って[18]Lamigoモンキーズ中信兄弟の入団テストを受験したが、いずれも入団には至らなかった。

2016年7月22日、約5年ぶりとなる香川オリーブガイナーズへの復帰が発表された[19]。香川では主にリリーフとして後期34試合中29試合に登板、監督の西田真二(PL学園の先輩)やコーチの伊藤秀範は、冨田が加わったことでリリーフ陣が強化され、後期優勝を争う上で力になったと評した[20][21]。後の報道では台湾で引退を決意したものの、西田から「おまえの経験を若手に還元してくれ」と声をかけられて香川に復帰したという[18]。11月12日の12球団合同トライアウトに参加し、1安打1四球(1人はゴロに打ち取ったが失策出塁)という内容だった[22]。11月30日、香川を退団することが発表された[23]

現役引退後

編集

香川退団後は実家の工場管理会社を継ぐとともに、名古屋にある野球ベルトの開発会社にシニアマネージャーとして加わっている[24]。2019年の報道では、実家の会社に勤務しながら、野球指導者への興味も持ち続けていることを明かしている[18]

2019年11月9日、マスターズ甲子園2019にPL学園OBとして出場、PL学園-利根商戦で先発した[25]。1失点ながら大会史上最速144km/hを記録し、MIP賞を贈られた[25]

選手としての特徴・人物

編集
 
冨田の投球フォーム(2011年の香川時代)

スリークォーターから最速152km/hのストレートツーシームに加え、スライダーフォークなどを投げる[26]

詳細情報

編集

年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
2013 DeNA 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 0.2 1 0 1 0 0 0 0 0 2 2 27.00 3.00
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 0.2 1 0 1 0 0 0 0 0 2 2 27.00 3.00

記録

編集
NPB

独立リーグでの投手成績

編集






























2011 香川 48 0 3 3 9 .500 71.1 24 2 69 11 1.39 8.74
2016 29 0 5 0 1 1.00 45.0 13 3 44 9 1.80 8.80
通算:2年 77 0 8 3 10 .727 116.1 37 5 113 20 1.55 8.71
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

編集
  • 16(2011年)
  • 111(2012年 - 2013年7月28日)
  • 68(2013年7月29日 - 2014年)
  • 19(2015年 - 2016年)
  • 13(2016年)

脚注

編集
  1. ^ a b c d 輝人(キラッと)・輝くあなたを応援します「広報北名古屋」2007年7月号13ページ
  2. ^ 「中日スポーツ」2011年10月28日7面
  3. ^ a b c レンジャーズ、前DeNA冨田と契約へ…PLでマエケンと同期”. スポーツニッポン (2014年11月21日). 2014年12月14日閲覧。
  4. ^ 新入団選手内定のお知らせ”. 香川オリーブガイナーズ オフィシャル・サイト (2011年1月27日). 2012年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月23日閲覧。
  5. ^ 香川OG4選手が育成枠/プロ野球ドラフト会議 - 四国新聞2011年10月28日
  6. ^ 順位表・成績 2011年 - 四国アイランドリーグplus(「投手成績(10傑)」の箇所を参照)
  7. ^ 後期リーグMVP冨田選手(香川OG)に決定 - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年11月8日)
  8. ^ “【ニュース】トミ・タイム再び。元香川OGの150km右腕、冨田康祐の復帰決定!”. 4SPO. (2016年7月22日). http://go5kagawa.com/blog/?p=5450 2016年7月23日閲覧。 
  9. ^ DeNA冨田、プエルトリコで実戦登板”. デイリースポーツ (2011年11月30日). 2012年11月30日閲覧。
  10. ^ 2015年度選手契約について - 横浜DeNAベイスターズ(2014年10月3日)
  11. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  12. ^ DeNA戦力外、マエケン同期の冨田 レンジャーズとマイナー契約 スポニチアネックス (2015年1月15日) 2015年1月15日閲覧
  13. ^ DeNA戦力外の冨田 過酷マイナーで奮闘中「今は野球が楽しい」 - スポニチアネックス2015年8月19日
  14. ^ レンジャーズ 元DeNA冨田の契約解除 傘下1Aでプレー - スポニチアネックス2016年1月15日
  15. ^ a b 冨田康祐選手にインタビュー!”. 香川オリーブガイナーズ (2016年2月7日). 2016年2月8日閲覧。
  16. ^ “元香川の冨田 メキシコでMLBの夢追う”. デイリースポーツ. (2016年4月4日). https://www.daily.co.jp/baseball/shikoku/2016/04/04/0008963957.shtml 2016年4月24日閲覧。 
  17. ^ 安樂智大が渡る「メキシカンリーグ」の現実とは…「給料未払い」「武装警官」「トラックの荷台で移動」「1日でクビ」「最高月給は100万円」」『高校野球ドットコム』2024年2月25日、1頁。2024年3月6日閲覧
  18. ^ a b c “2016年限りで現役引退… 波乱万丈の野球人生を送った元DeNA右腕の今”. Full-Count. (2019年3月20日). https://full-count.jp/2019/03/20/post323457/ 2019年3月20日閲覧。 
  19. ^ 元・横浜DeNAベイスターズ冨田康祐選手 香川OG入団のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2016年7月22日)
  20. ^ 打撃をカバーする投手力 - 西田真二「赤ヘル寅さん放浪記」(2016年9月1日)
  21. ^ 野球西国巡り第248回 - Sports Communications(2016年9月21日。執筆は投手コーチの伊藤秀範)
  22. ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.html 2016年11月13日閲覧。 
  23. ^ 香川OG 退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2016年11月30日)
  24. ^ “冨田康祐さん MLBから侍ライバルまで…世界中に広がる“友達の輪””. スポーツニッポン. (2018年3月11日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/03/11/kiji/20180311s00001173033000c.html 2018年3月11日閲覧。 
  25. ^ a b “大会史上最速144キロをマーク!マエケンの同期・冨田康祐(元横浜DeNA)がマスターズ甲子園でMIP賞を獲得!”. 高校野球ドットコム. (2019年11月9日). https://www.hb-nippon.com/news/36-hb-bsinfo/39226-bsinfo20191109011 2019年11月12日閲覧。 
  26. ^ ヤクルト ドラフト隠し玉にマエケンの高校同期”. スポニチ Sponichi Annex (2011年10月18日). 2012年5月23日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集