八木 勇平(やぎ ゆうへい、1912年3月31日 - 2001年1月4日)は、日本実業家東急建設社長や、世紀東急工業会長、静岡県人会会長などを務めた。

人物・経歴

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静岡県小笠郡出身。1933年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業、東京横浜電鉄(現東急)入社。1958年取締役。1971年東急建設専務取締役。1972年東急建設取締役副社長。1973年東急建設取締役社長。1976年東急道路取締役社長。1978年東急工建取締役会長、東急不動産取締役。1979年東京急行電鉄監査役。1982年世紀東急工業取締役会長。静岡県人会会長なども歴任した[1][2][3]

著書

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  • 『私の記録 : 八木勇平』東急エージェンシー出版事業部 1988年
  • 『私の記録 : 追補』東急エージェンシー出版事業部 1992年

脚注

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  1. ^ 2014/08/01掲載 静岡県人会 歴代会長紹介(戦後)静岡県人会
  2. ^ 「東急建設第34期有価証券報告書」東京大学
  3. ^ 于清高; 华珏 (1982). 现代日本名人录. 时事出版社. p. 7. https://books.google.co.jp/books?id=kr_TAAAAMAAJ&redir_esc=y&hl=ja 
先代
馬淵寅雄
東急建設社長
1973年 - 1985年
次代
柳田盈文
先代
中田乙一
緑丘会理事長
1982年 - 1989年
次代
野口正二郎