全日本F2000選手権
全日本F2000選手権(ぜんにほんエフにせんせんしゅけん)は、1973年から1977年まで日本で開催されていた自動車レースの1カテゴリー。フォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、国内で最初のトップフォーミュラ選手権であった。
概要
編集スポーツカーやツーリングカーのレースが中心だった黎明期の国内レース界において、フォーミュラカーレースの人気はいまひとつで、1971年からフォーミュラカーレースとして再スタートした日本グランプリも、1960年代のツーリングカー/スポーツカー時代と比べると人気を大きく落としていた。そのような状況下で日本自動車連盟(JAF)は、1973年にフォーミュラ振興策を打ち出し、フォーミュラカーレースの国内トップカテゴリーとして全日本F2000選手権を新設した。なお同時に、下位カテゴリーとして全日本FJ1300選手権と全日本FJ360選手権も新設している。
ヨーロッパで開催されていたフォーミュラ2(F2)にならったカテゴリーであったが、国際自動車連盟(FIA)のF2規定では量産型エンジンをベースにしたエンジンを搭載しなければならないのに対し、全日本選手権ではレース専用エンジンも認めた点で異なっていた為、“F2”ではなく“F2000”を名乗った。F2規定にしなかったのは、当時国内自動車メーカーで唯一のフォーミュラ推進派だった三菱自動車の供給するエンジンが、純粋なレーシングエンジンだったことが理由である。
当初はレース数も参加台数も少なかった為、FJ1300と混走する形でレースを開催していた。
1976年にエンジンは量産型がベースでなくてもよいとF2規定が改正されたことでF2とF2000の規定は同一となり、1978年より全日本F2選手権と呼称が変更され開催されることになった。
マシン
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歴代チャンピオン
編集年 | 全日本F2000チャンピオン | 鈴鹿F2000チャンピオン | ||||
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ドライバー | 所属チーム | 使用マシン | ドライバー | 所属チーム | 使用マシン | |
1973年 | 黒澤元治 | ヒーローズレーシング | マーチ722・BMW | ― | ― | ― |
1974年 | 高原敬武 | タカハラレーシング | マーチ742・BMW | ― | ― | ― |
1975年 | 星野一義 | ビクトリーサークルクラブ | マーチ742・BMW | ― | ― | ― |
1976年 | 高原敬武 | タカハラレーシング | ノバ512・BMW | ― | ― | ― |
1977年 | 星野一義 | ヒーローズレーシング | ノバ512B・BMW ノバ532P・BMW |
高橋国光 | スピードスターレーシング | マーチ742・BMW コジマKE008・BMW |