児玉 就兼(こだま なりかね)は、戦国時代武将毛利氏家臣。安芸国児玉氏の一族。父は児玉元実で、子に就光就安就吉。弟には就忠就方がいる。

 
児玉就兼
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永禄3年1月23日1560年2月19日
別名 通称:四郎兵衛尉、左衛門太郎
官位 豊前守
主君 毛利興元幸松丸元就
氏族 児玉氏
父母 父:児玉元実
兄弟 就兼就忠就方
就光就安就吉、女(内藤平右衛門室)、女(平佐就之室)
テンプレートを表示

生涯

編集

毛利氏家臣である児玉元実の長男として生まれ、毛利興元幸松丸元就の三代に仕えた。

永正4年(1507年)の安芸国高田原の戦いにて戦功を挙げ、毛利興元から感状を与えられる。後に毛利元就の奉行人となり、その側近として活動した。

永禄3年(1560年1月23日に死去。嫡男の就光が後を継いだ。

参考文献

編集
  • 舘鼻誠「元就・隆元家臣団事典」(河合正治編『毛利元就のすべて(新装版)』新人物往来社1996年
  • 岡部忠夫編『萩藩諸家系譜』(マツノ書店1999年復刻)
  • 萩藩閥閲録』巻19「児玉四郎兵衛」
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060  国立国会図書館デジタルコレクション