先進統一党
先進統一党(せんしんとういつとう)は、韓国における保守系政党。略称は「先進党」。2008年2月に結成された自由先進党を前身とし、韓国中部の忠清南道と大田広域市で強い支持地盤を有していた。2012年11月16日、セヌリ党と合併したことで消滅[2]。
先進統一党 선진통일당 | |
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代表 | 李仁済 |
成立年月日 | 2008年2月1日 |
解散年月日 | 2012年11月16日 |
後継政党 | セヌリ党 |
本部所在地 | ソウル特別市永登浦区汝矣島洞14-14 龍山ビル |
国会 |
4 / 300 (1%) |
党員・党友数 |
450,430名 (2011年12月31日[1]。なお党員数は先進党時代のものである。) |
政治的思想・立場 | 新保守主義・右派 |
公式サイト | 自由先進党ホームページ |
先進統一党 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 선진통일당 |
漢字: | 先進統一黨 |
発音: | ソンジントンイルダン |
沿革
編集党結成と18代総選挙
編集2007年12月に行われた大統領選挙に出馬して敗北した李会昌が中心となって結成された。12月9日のテレビ演説で「我々の貴重な価値を守り、未来へのビジョンを共有する全ての勢力と新党を結成する」と表明した[3]。当初の党名は「自由新党」[4]であったが、自由新党では、略称が大統合民主新党と同じ「新党」になってしまい混乱を招くことと、100年政党をめざす党として、「新党」と言う名称はふさわしくないと言う理由から「自由先進党」になった[5]。2008年1月10日に、国民中心党代表の沈大平などが参加して発起人大会が行なわれ、挨拶で李会昌は「今日新保守主義のたいまつを掲げた。個人の自由と選択、個人の想像力、能力発揮を国と社会の原動力にしたいと思う」[6]と述べ、保守政党としての立場を明確にした。2月1日に正式に「自由先進党」が結成され、同月12日には大統領選挙において李会昌と選挙協力を行なった国民中心党と合併した[7]。4月9日に行なわれた総選挙では支持基盤としている忠清南道を中心に支持を伸ばし、18議席を獲得したものの、目標としていた院内交渉団体資格の20議席には届かなかった。
「自由と先進の集まり」の結成と解散
編集第18代国会開催を目前にした、2008年5月23日に創造韓国党の文国現代表と李会昌総裁が国会内で会合を持ち、「先進党と創造韓国党は大運河阻止、権益主権と国民の健康権確保が前提の米国産牛肉輸入、中小企業活性化を目指し共同努力することで意をまとめ、交渉団体を共同構成することにした」と合意文を発表し、両党で院内交渉団体を構成することに合意した。先進党は両党の統合も模索したが、創造韓国党側は難色を示した。「正統保守」を自認する先進党と、「創造的な進歩」(中道左派)を模索する創造韓国党が、院内交渉団体を構成するために手を組んだことに対して原則の無い離合集散との批判[8]もあったが8月6日、先進党と創造韓国党は共同院内交渉団体構成に正式合意し、「先進と創造の集まり」を旗揚げ[9]することになった。
しかし2009年に、忠清南道元知事で同地域に強い地盤を有する沈大平代表が8月30日に李会昌総裁の党運営に対する不満を理由として先進党を離党し、9月1日に交渉団体脱退書を国会事務所に提出したことで、院内交渉団体を構成するために必要な20議席に達しなくなったため、「自由と先進の集い」は交渉団体の地位を失った[10]。沈代表の離党で先進党は結党以来最大の危機を迎えることになり、来年行われる統一地方選挙の行方にも大きな影響を与えることも予想された[11]。その後、沈氏は新たに新党「国民中心連合」(国民連)を2010年3月に結成した[12]。
全国同時地方選敗北
編集2010年6月に行なわれた全国同時地方選挙で先進党は、広域自治団体長3名、広域議会地域区78名など合計で427名の候補者を擁立して選挙戦を戦った。しかし、党の強固な地盤である忠清南道の知事選挙において民主党の安熙正候補に敗北、大田広域市長選挙のみの勝利に留まるなど、先進党にとっては厳しい選挙結果となった。この結果を受け李会昌は8日、敗北の責任を取って党代表を辞任することを表明[13]したが、「世宗市建設計画の国会採決を控えている状況下で、代表職を空席にしておくわけにはいかない」として17日に党務に復帰することを表明した[14]。
2011年8月31日、先進党は国民連と9月末までに統合し、沈太平国民連代表が統合新党の代表を務めることで国民連と合意[15]。また未来希望連帯と連携して共同で院内交渉団体を構成する案も浮上した。10月10日、先進党と国民連の統合作業が完了し、統合政党としての「自由先進党」が発足した。そして代表には国民連代表であった沈大平が推戴された[16]。
19代総選挙での敗北
編集2012年4月の第19代総選挙を前に、党所属議員の脱党、11年12月に結成された民主統合党への議員の入党が相次いでいることに関連し、沈代表は1月4日に行われた新聞社のインタビューで「脱党は忠清を揺さぶる民主統合党の工作である」と民主統合党を批判した[17]。
選挙では、与党セヌリ党と最大野党である民主統合党との争いに埋没、地盤とする忠清道でもセヌリ党に議席を奪われ、選挙前議席(14議席)を半分以上も下回る5議席を得るに留まった。自身も落選した沈大平代表は投票日翌日の12日、選挙で先進党が惨敗した責任を取り、党代表を辞任することを表明した[18]。4月16日、党指導部と中央党職者は一括辞任し、非常対策委員会体制へと移行することを決定し、委員長には李仁済が就任した。また5月中に全党大会を開催して新代表を選出することも併せて決められた[19]。
党名改称
編集5月22日に行われた非常対策委員会の全体会議で、新しい党名を「先進統一党」(略称:統一党)とすることを決定した[20]。5月29日に開催された全党大会で党憲・党規改正案が承認され、党名を「先進統一党」に改称し、初代代表に李仁済を選出した。しかし全大前の5月20日、党の有力者である李会昌前代表が先進党を離党[21]したことで忠清道地域における地位の低下を指摘する声もある[22]。
8月30日、統一党所属国会議員1名と兪漢植世宗特別自治市市長が、同党からの離党とセヌリ党への入党を公式宣言した。これにより統一党の国会議員は5名から4名に減少することになった[23]。12月に行われる大統領選挙を前にした10月25日、セヌリ党との合併を公式宣言した[24]。合併はセヌリ党が統一党を吸収合併する形で行われ、30日の党務会議で合併案を正式決定、11月16日の中央選挙管理委員会への申告によって合併手続きは全て完了し、4年余りの歴史に幕を閉じた[25]。
党指導部
編集代表 대표 |
李仁済(이인제) |
---|---|
院内代表 원내대표 |
ソン・ワンジュ(성완종) |
最高委員 최고위원 |
キム・ヨンジュ(김영주) |
ソン・ジョンファン(송종환) | |
パク・サンドン(박상돈) | |
ホン・ピョグン(홍표근) | |
ホ・スン(허 증) |
出典:“구성원(構成員)”. 先進統一党. 2012年10月26日閲覧。
政策
編集政綱・政策
- 第1条:法秩序の確立
- 第2条:小さな政府
- 第3条:画期的分権
- 第4条:果敢な開放
- 第5条:公教育革新
- 第6条:親環境社会
- 第7条:持続可能な福祉
- 第8条:共同体を通じた信頼構築
- 第9条:南北関係再確立
- 第10条:韓·米同盟と外交チャンネル
出典:公式ホームページの“HOME > 자유선진당소개(自由先進党紹介)>당헌(党憲)·당규(党規)”
年表
編集- 2007年
- 12月9日.李會昌氏、テレビ演説で新党結成を表明
- 2008年
- 2009年
- 8月31日:沈太平代表が先進党離党を表明、翌9月1日に交渉団体「先進と創造の集まり」からの脱退届けを国会事務所に提出。「先進と創造の集まり」は院内交渉団体の資格を失うことになった。
- 2010年
- 6月2日:第5回全国同時地方選挙。広域自治団体長選挙は大田広域市の1名、広域議会選挙地域区は38名が當選、など合計で172名の当選にとどまる。
- 6月8日:李会昌代表、党代表辞任を表明。
- 6月17日:李代表、党務への復帰を表明。
- 2011年
- 5月9日:李代表、党代表を退く意思を表明[30]。
- 8月31日:先進党と国民連が統合することで合意。
- 10月10日:先進党と国民連の統合作業完了、自由先進党の代表に沈大平が選出
- 2012年
- 4月11日:第19代総選挙。地盤の忠清道で敗北するなど5議席の獲得に留まる。
- 4月12日:沈大平代表、総選挙惨敗の責任を取って代表辞任を表明。
- 4月16日:党指導部と中央党職者が一括辞任。李仁済を委員長とする非常対策委員会体制に移行。
- 5月20日:李会昌前代表、全党大会前に先進党を離党する意思を表明。
- 5月22日:非常対策委員会の全体会議で、新しい党名を「先進統一党」(統一党)とすることを決定。
- 5月29日:全党大会。党名を「先進統一党」に改称、初代代表に李仁済を選出。
- 8月30日:李ミョンス議員と兪漢植世宗特別自治市市長が離党。セヌリ党への入党を表明。
- 10月25日:セヌリ党との合併を公式宣言。
- 10月30日:党務会議で合併案を正式決定
- 11月16日:セヌリ党と正式に合併。
選挙における成績
編集年月日 | 総選挙 | 議席数 | 得票率 (比例代表) | ||
---|---|---|---|---|---|
合計 | 地域区 | 比例 代表 | |||
2008年4月9日 | 第18代総選挙 | 18 | 14 | 4 | 6.84% |
2012年4月11日 | 第19代総選挙 | 5 | 3 | 2 | 3.23% |
脚注
編集- ^ 「(2) 정당별 당원수(政党別党員数)」、『2011년도 정당의 활동개황 및 회계보고(2011年度 政党の活動概況および会計報告)』(中央選挙管理委員会)11ページ
- ^ 。“김태흠 의원 "새누리-선진당 합당 16일 마무리"(キム・デフン議員“セヌリ-先進党合党16日締めくくり”)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年11月15日) 2012年11月16日閲覧。
- ^ 「李会昌氏「来年始めごろ新党結成する」」-朝鮮日報サイト(日本語)2007年12月10日
- ^ 「李會昌氏、新党名「自由新党」に」、朝鮮日報サイト(日本語)2008年1月9日
- ^ 「李会昌氏、新党名「自由先進党」に変更」朝鮮日報サイト(日本語)2008年1月28日
- ^ 「李会昌氏ら中心の自由新党が設立発起人大会を開催」Wow!korea 韓国新聞・政治 2008年1月10日
- ^ 「自由先進党、国民中心党と合併」、朝鮮日報サイト(日本語版)2008年2月13日
- ^ 「先進党と創造韓国党、政党連帯で院内交渉団体構成へ【ソウル23日聯合】」-聯合ニュース(2008年5月23日)
- ^ 「自由先進党と創造韓国党、共同院内交渉団体を構成」-聯合ニュース(2008年8月6日)
- ^ 9月1日付innolife.net 先進と創造の集まり、交渉団体地位喪失
- ^ “第2野党の連立代表が離党宣言、「李会昌氏と一緒にできない」と批判”. 東亜日報. (2009年8月31日)
- ^ 심대평, 오늘 ‘국민중심연합’ 창당 (沈太平、今日‘国民中心連合’創党)ハンギョレ
- ^ “自由先進党の李会昌代表が辞意表明 選挙敗北で引責”. KBSワールドラジオ. (2010年6月8日)
- ^ “野党自由先進党の李会昌代表 党務に復帰”. KBSワールドラジオ. (2010年6月17日)
- ^ 自由先進党と国民中心連合が統合、代表に沈太平氏。朝鮮日報2011年9月1日(無料公開期限は記事配信から1週間)
- ^ 자유선진당-국민중심연합, 통합작업 마무리(自由先進党-国民中心連合、統合作業仕上げ).YTN2011年10月10日17時42分
- ^ “심대평 대표 "탈당은 충청 흔드는 민주당 공작" (沈大平代表“脱党は忠清を揺さぶる民主党の工作”)”. 毎日経済新聞. (2012年1月4日) 2012年1月5日閲覧。
- ^ “심대평, 선진당 대표직 사퇴…“총선 패배 책임”(沈大平、先進党代表職辞退・・・“総選惨敗責任”)”. 東亜日報(本国版). (2012年4月12日) 2012年4月14日閲覧。
- ^ “선진당 지도부 사퇴..이인제 비대위원장 체제로(先進党指導部辞退・・李仁済非対委員長体制へ)”. 聯合ニュース. (2012年4月16日) 2012年4月18日閲覧。
- ^ “自由先進党 新しい党名は「先進統一党」”. KBSワールドラジオ. (2012年5月24日) 2012年5月24日閲覧。
- ^ “이회창, 자유선진당 탈당(李会昌、自由先進党脱党)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年5月20日) 2012年5月24日閲覧。
- ^ “통일당 초대 대표에 이인제..험로 예고(統一党初代代表に李仁済。。険路予告)”. 聯合ニュース. (2012年5月29日) 2012年5月29日閲覧。
- ^ “이명수ㆍ유한식, 새누리 입당 공식선언”. 聯合ニュース(本国版). (2012年8月30日) 2012年9月6日閲覧。
- ^ “セヌリ党と先進統一党 合併を公式宣言”. KBSワールドラジオ. (2012年10月26日) 2012年10月26日閲覧。
- ^ “새누리당-선진당 합당 완료, 이인제 공동선대위원장 임명(セヌリ党-先進党合党完了、李仁済共同選対委員長に任命)”. 朝鮮日報(本国版). (2012年11月16日) 2012年11月16日閲覧。
- ^ 「第18代総選挙、与党ハンナラ党が過半数確保に成功」.聯合ニュース(4月10日付)
- ^ 先進党と創造韓国党、院内交渉団体構成に暫定合意【ソウル23日聯合】-聯合ニュース(2008年5月23日)
- ^ 自由先進党と創造韓国党、共同院内交渉団体を構成-聯合ニュース(2008年8月6日)
- ^ 民心測る再補欠選挙、ハンナラ・先進党が票田で勝利-聯合ニュース(2008年10月30日)
- ^ 李会昌自由先進党代表が辞意表明。KBSワールドラジオ2011年5月9日14時20分入力