信谷 定爾(のぶたに さだじ、1857年1月12日(安政3年12月17日) - 1893年(明治26年)11月9日[1])は、教育者。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。下総国生実藩士。