住吉村 (神奈川県)

日本の神奈川県橘樹郡にあった村

住吉村(すみよしむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1925年大正14年)5月10日まで存在した神奈川県橘樹郡

すみよしむら
住吉村
廃止日 1925年5月10日
廃止理由 新設合併
中原村住吉村中原町
現在の自治体 川崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
橘樹郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,738
国勢調査、1920年)
隣接自治体 川崎市、中原村、橘村日吉村
住吉村役場
所在地 神奈川県橘樹郡住吉村大字木月
座標 北緯35度34分30秒 東経139度39分19秒 / 北緯35.57511度 東経139.65528度 / 35.57511; 139.65528 (住吉村)座標: 北緯35度34分30秒 東経139度39分19秒 / 北緯35.57511度 東経139.65528度 / 35.57511; 139.65528 (住吉村)
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概要

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神奈川県橘樹郡中部の村。現在の神奈川県川崎市中原区の南部、幸区の西部にあたる。

歴史

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村名の由来

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瑞祥地名

沿革

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  • 戦国時代 - 今井、木月郷、借宿、井田の地名が見られる。
  • 江戸時代 - 以下の6村が成立。
    • 今井村(幕府領、旗本勝部氏・筒井氏知行→旗本勝部氏知行、江戸増上寺領)
    • 木月村(旗本森川氏・三宅氏・内藤2氏の4給)
    • 市ノ坪村(旗本内藤氏知行→幕府領→江戸増上寺領)
    • 苅宿村(幕府領→旗本杉田氏知行→幕府領)
    • 井田村(旗本加藤氏・倉橋氏・八木氏・高林氏・鈴木氏の5給→幕府領、旗本加藤氏・倉橋氏・新見氏・鈴木氏知行)
    • 北加瀬村(旗本間宮氏知行→江戸増上寺領)
  • 1868年明治元年)
    • 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
    • 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
  • 1874年明治7年) - 大区小区制の施行により、上平間村、中丸子村、市ノ坪村、今井村、鹿島田村、苅宿村が第4大区第7小区に、井田村、木月村、蟹ケ谷村、明津村、北加瀬村が第4大区第8小区になる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、今井村、木月村、市ノ坪村、苅宿村、井田村、北加瀬村が合併して住吉村が成立。
  • 1925年(大正14年)5月10日 - 一部の区域(北加瀬)を日吉村へ分割編入した上で、残部が中原村と合併して中原町となる。同日住吉村廃止。
  • 1933年(昭和8年)8月1日 - 中原町が川崎市に編入。
  • 1937年(昭和12年)4月1日 - 日吉村が川崎市、横浜市に分割編入。旧住吉村の区域は川崎市となる。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、北加瀬の一部(現西加瀬の全域、大倉町の一部を除く)が幸区に、残部が中原区になる。

地名

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地名としての「住吉」は1942年の木月住吉町の起立で復活している。

住吉神社(明治42年)、住吉小学校(明治33年)、住吉中学校(昭和22年)、住吉高等学校(昭和54年)に、住吉の名が現在も使われている。

交通

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鉄道路線

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東京横浜電鉄(現東京急行電鉄東横線元住吉駅は、住吉村廃止の翌年の1926年に木月に開業。駅名の命名は、元(旧)住吉村の地に由来し[1]、「住吉」の名に愛着を持った住民からの要望による。

道路

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現在の町名

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川崎市中原区

川崎市幸区

脚注

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  1. ^ 住吉村の中心地という意味ではない。

関連項目

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