仙石政敬
仙石 政敬(せんごく まさゆき、明治5年4月20日(1872年5月26日) - 昭和10年(1935年)9月16日)は、明治時代から昭和初期にかけての官僚・政治家。子爵。
仙石 政敬 せんごく まさゆき | |
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生年月日 | 1872年5月26日 |
出生地 | 日本 東京府(現東京都) |
没年月日 | 1935年9月16日(63歳没) |
出身校 |
学習院高等学科卒業 (現学習院大学) 東京帝国大学法科大学政治学科卒業 (現東京大学法学部) |
前職 | 宗秩寮総裁 |
称号 |
勲一等瑞宝章 第一回国勢調査記念章 従四位 |
配偶者 | 仙石素子 |
子女 |
長男・仙石久英 長女・九条日浄 |
親族 |
父・仙石政固(貴族院議員) 義兄・池田詮政(貴族院議員) 義兄・竹内惟忠(貴族院議員) 娘婿・梅溪通虎(貴族院議員) 孫・池坊保子(衆議院議員) |
選挙区 | 子爵議員 |
在任期間 | 1934年5月12日 - 1935年9月16日 |
生涯
編集1872年(明治5年)、旧出石藩主・仙石政固の長男として生まれる。1891年(明治24年)7月、学習院高等学科を卒業。1893年(明治26年)、久邇宮朝彦親王の六女・素子女王と結婚した。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科を卒業。1899年(明治32年)11月、高等文官試験に合格。 その後、一時志願兵として近衛師団に入営したが、1900年(明治33年)、足疾のために現役を免除された[1]。宮内省諸陵頭などを務めたのち、1923年(大正12年)賞勲局総裁、1925年(大正14年)宗秩寮総裁を歴任した。1934年(昭和9年)5月、貴族院議員に補欠選挙で当選した。1935年(昭和10年)貴族院議員の在職中に死去した。63歳没。墓所は多磨霊園(12-1-5-17)にある。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[3]
家族
編集- 妻
- 素子(1876年 - 1918年)
- 久邇宮朝彦親王の六女
- 子女
脚注
編集- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、320頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
参考文献
編集- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
公職 | ||
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先代 倉富勇三郎 総裁事務取扱 |
宗秩寮総裁 1925年 - 1933年 |
次代 木戸幸一 |
先代 正親町実正 |
賞勲局総裁 1923年 - 1925年 |
次代 江木翼 総裁事務取扱 |
先代 山口鋭之助 |
諸陵頭 1921年 - 1923年 |
次代 関屋貞三郎 諸陵頭事務取扱 |
日本の爵位 | ||
先代 仙石政固 |
子爵 (出石)仙石家第2代 1917年 - 1935年 |
次代 仙石久英 |