今里 (花街)
大阪市生野区今里にあった花街
沿革
編集今里新地は1930年(昭和5年)12月、大軌今里駅周辺の土地を開墾した上で「芸妓居住指定地」として開設され、大阪市内の芸妓や業者らが移住して営業開始した[1]。
第二次世界大戦後は赤線に移行し、松島や飛田に次ぐ売春地帯となり、1958年(昭和33年)の売春防止法施行により、遊廓としての今里新地は終焉した[1]。現在も「料亭」の鑑札を掲げて営業している店舗があるが、韓国系の住人や業者が進出し、朝鮮料理店が増えてコリア・タウン化している。その後中国系やベトナム系も進出し、韓国系よりもベトナム系が目立つ街に変貌しつつある[2]。
脚注
編集- ^ a b 『日本花街志』P.867-868
- ^ 安田峰俊 (2022年6月16日). “関西屈指のディープ地帯「今里新地」…裏風俗エリアが"ベトナムおしゃれガールズタウン"に変貌した理由”. 文春オンライン. 文芸春秋. 2024年7月31日閲覧。
参考文献
編集- 『今里新地十年史』今里新地組合 1940年
- 『日本花街志 第一巻』加藤藤吉、四季社 1956年
- 『近代庶民生活誌 13 色街・遊廓I』南博、林喜代弘 編 三一書房 1991年