今藤 長十郎(いまふじ ちょうじゅうろう)は、長唄三味線方の名跡。代々今藤派家元

初代

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初代は2代目田中佐十郎の本名に由来。

2代目

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慶応2年2月28日1866年4月13日) - 昭和20年(1945年6月9日)本名は坂田政太郎。

東京の生まれ、父は囃子方2代目今藤佐太郎。最初父の元で笛方で修行、1890年7代目松永鉄五郎に入門、松永鉄太郎と名乗って三味線方に転じた。1904年に2代目今藤長十郎を襲名。1907年に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に邦楽調査掛を新設し調査嘱託員に就任し「近世邦楽年表」を編集。1942年に実子次男に長十郎の名を譲り今藤長栽を名乗った。

主な作曲には「夫婦鶴」「御代の曙(山の巻)」「井筒」「松の四季」等がある。

長男は思想史家の坂田太郎[1]。長女が今藤綾子、次男が今藤長十郎

3代目

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今藤長十郎 (3世)を参照。

4代目

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今藤長十郎 (四世)を参照

脚注

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  1. ^ 田中義久「坂田太郎略年譜」坂田太郎『イデオロギー論の系譜』こぶし書房、1995年、290-291頁