今井はつ
今井 はつ(いまい はつ、1901年(明治34年)5月3日[1][注 1] – 1971年(昭和46年)4月6日[2][3])は、日本初の女性国会議員の一人。
来歴
編集1901年、福井県大野郡勝山町(現在の勝山市)に出生[2]。私立水田高等技芸学校卒[2][3]。結婚後四国に渡り、高等小学校の代用教員や新聞記者をした[2]。その後、上京し、裁縫塾を開き、戦災で故郷の福井に戻った[2]。
男女普通選挙制度が採用されて初の選挙である1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し、日本初の女性国会議員の一人となった[2][3]。しかし、当選後、大阪府立清水谷高女中退を卒業としていた学歴詐称が発覚、書類送検となった[2]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙で福井県(全県1区)から日本自由党で立候補したが落選した[4]。次の1949年の第24回衆議院議員総選挙では東京1区から無所属で立候補したが落選した[5]。
落選後は明治大学新聞高等研究科に入り、1950年に卒業した[2][3]。その後総理府青少年問題審議会専門委員などを務めた[1][3]。晩年は千代田区丸の内で麻雀荘を経営した[2]。1971年、死去。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『新しき明日の来るを信ず』221頁には「5月5日」とある。
出典
編集参考文献
編集- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。