京極高光

室町時代中期の守護大名

京極高光(きょうごく たかみつ)は、室町時代中期の守護大名室町幕府侍所頭人、出雲国隠岐国飛騨国守護

 
京極高光
時代 室町時代中期
生誕 天授元年/永和元年(1375年
死没 応永20年8月19日1413年9月14日
別名 三郎[1]
戒名 大円道通勝願寺[1]
墓所 滋賀県米原市徳源院
官位 従五位上[1]左衛門尉[1]治部大輔[1]
幕府 室町幕府侍所頭人、出雲隠岐飛騨守護
主君 足利義満義持
氏族 京極氏
父母 父:京極高詮
兄弟 高光高数
正親町三条公豊
細川持之室、持高持重持清
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略歴

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天授元年/永和元年(1375年)、京極高詮の嫡男として誕生した。

応永8年(1401年)に父が亡くなり、出雲・隠岐・飛騨3か国の守護を継いだ。応永12年(1405年)に出雲大社の造営を幕府から命じられ、出雲の豪族である松田掃部入道に、大社の宮司である出雲国造と相談し完了させる様に命じている。また応永年間には近江国日撫神社に伽藍を建立している。応永16年(1409年)に侍所頭人を務め、応永18年(1411年)に飛騨国司姉小路尹綱が幕府に背いた飛騨の乱が起きると、弟・高数を総大将として兵を出し制圧している。

応永20年(1413年)、死去。享年39。嫡男の持高が家督を継いだ。

脚注

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  1. ^ a b c d e 寛政重修諸家譜

出典

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